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1929~68 アメリカの公民権運動の指導者で、人種差別に非暴力で抵抗した牧師。1929年、バプティスト派の牧師の長男としてジョージア州アトランタに生まれる。17歳で牧師となり、クロイツァー神学校とボストン大学でまなぶ。このころインドの指導者ガンディーの非暴力抵抗哲学に大きく影響された。54年、アラバマ州モンゴメリーのバプティスト教会の主任牧師に任命された。
1955年、黒人女性が白人乗客に座席をゆずるのをこばみ逮捕されたのをきっかけに、キングをリーダーとするモンゴメリーの黒人たちはバス・ボイコット運動を組織し、公共輸送機関での人種差別に抵抗した。キングは逮捕、投獄され、死の脅迫もあったが、56年、連邦最高裁判所が公共輸送機関での人種差別を禁じ、1年以上つづいた運動はおわった。これは、非暴力直接行動の勝利で、キングは公民権運動の指導者として注目されることになった。以降、南部キリスト教指導者会議(SCLC)を組織、非暴力運動を推進する。
1959年にインドをおとずれたキングは、ガンディーが追求した大衆的非暴力抵抗運動をより深く理解し、その原理を抵抗運動の柱にしようと決意する。翌年、盛んになっていた公民権運動を指導するため、アトランタに移転。 当時、黒人運動は急進化し、かつての訴訟戦略から暴力によって変革を要求する方向にかわってきていた。非暴力運動を推進するSCLCと急進的な黒人運動グループが対立し、主導権争いがおこるのはさけられなかったが、キングの人望によって非暴力運動の方針はまもられた。1963年春、キングはアラバマ州バーミングハムで黒人の選挙人登録と人種差別撤廃、南部の教育と住宅問題の改善をもとめる闘争をおこなった。同年8月28日には公民権運動の歴史にのこるワシントン大行進をひきい、「私には夢がある。いつかジョージアの赤い丘で奴隷の子孫と奴隷所有者の子孫が兄弟として同じテーブルにつく夢が」という有名な演説をおこない、翌年、ノーベル平和賞が授与された。 キングは1967年の初めからベトナム反戦運動にかかわり、白人の反戦活動家とも連帯した。激化するベトナム戦争によってアメリカ社会が毒され、人権問題への無関心をひろげていると考えたのである。
キングはベトナム反戦運動の推進と黒人問題の根幹をなす貧困問題解決のためにたたかっていたが、1968年4月、テネシー州メンフィスで黒人労働者の争議を支援中、凶弾にたおれた。白人の脱獄囚レイが逮捕され、アトランタでおこなわれた葬儀には、10万人が参列した。83年、彼の誕生日を記念して、1月の第3月曜日が休日になる。アトランタの生家と墓所は国の史跡に指定されている。
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