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1634年に完成したガリレオの最後の著作「新科学対話」は、彼が初期の実験の結果をみなおして、より精緻化したものと、力学の原理とをあつかっている。この本は38年に新教国オランダのレイデン(ライデン)で出版された。そしてニュートンがガリレオの数学的に記述された物理とケプラーの惑星運動の法則をむすびつけ、万有引力の法則をみいだす起点となった。 ガリレオはこの本の出版前に失明し、42年1月8日にアルチェトリで没した。
ガリレオの科学への最大の功績は、形而上学的な原理や形式的な論理ではなく、正確な測定にもとづく物理学をうちたてたことにある。しかしながら実際に人々に大きな影響をあたえたのは、「星からの使者」や「天文対話」でしめされた星の姿そのもので、これらの著作は天文学に新しい地平をひらいた。また、哲学や神学の干渉を排して科学研究の自由を確立しようとしたガリレオの生涯にわたる戦いは、科学の領域をこえるものでもある。
1870年代にガリレオ裁判にかかわるすべての文書が公表されて以来、ガリレオへの有罪判決に対する全責任は慣例上ローマ・カトリック教会にあるとされてきた。しかし、このことは、最初にガリレオの科学を異端とむすびつけようとして神学者をときふせた哲学の教授たちの責任を、おおいかくすことにもなった。 1965年にピサを訪問したパウロ6世は、教会の誤りであることを明言し、79年にローマ法皇ヨハネ・パウロ2世によって、有罪取り消しをもとめて判決の調査がおこなわれた。そして92年10月、教皇の委員会は有罪判決はバチカンの誤りであることを正式にみとめた。
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