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ウランの核分裂がハーンらによって1938年に発見されて以来、それまでほとんど用途のなかったウランは、重要な戦略物資にかわった。アメリカでは第2次世界大戦のはじまった39年から、原爆製造を目的としたマンハッタン計画が準備され、42年には世界最初の原子炉によって、核分裂によるエネルギーが生みだされた。45年7月、世界初の核爆発実験がニューメキシコ州アラモゴードでおこなわれ、8月には2発の原子爆弾が日本に投下された。戦後しばらくの間、ウランの用途は核兵器の生産に限定されていたが、54年に合衆国政府はウランの統制を緩和し、原子力の平和利用をおしすすめた。以後、核燃料となる濃縮ウランは、アメリカ国内の民間企業や、外国の原子力機関へも提供されるようになった。 1955年は世界最初の原子力潜水艦ノーチラスがアメリカで就航した年だが、同年、ジュネーブで開催された原子力平和利用国際会議の第1回会合では、ウランの平和利用がはじめて国際的に討議され、それまで軍事機密とされていた原子力技術が大量に公開された。その翌年、イギリスのコールダー・ホール原子力発電所で、世界初の商業発電がおこなわれた。57年には国際原子力機関(IAEA)が設立され、加盟国の原子力平和利用の支援と、軍事利用防止のための査察とをおこなうことになった。 日本の原子力発電は1954年に計画がはじまった。イギリスの原子炉技術をもとにした日本最初の商業用原子炉(東海1号炉)は、65年に発電に成功したが、その後はアメリカから導入した軽水炉の技術をもとに、原子炉開発をすすめた。ただし、核燃料となる濃縮ウランの生産や核燃料再処理、放射性廃棄物の処理、また安全性の点など、未解決の問題は多くのこされている。→ 核燃料サイクル
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