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項目構成
漢字の「紙」という文字は、絹糸をよりあわせた糸と、「平らで、やわらかい」を意味する氏からできている。これは、植物がつかわれる以前には、絹布をおる工程ででる材料で紙をつくっていたためである。中国では、前2000年代から絹織物がつくられていた。織物にするのは長い繊維で、短い繊維は絮(じょ)といい、これを麻などと混合して紙にしていたと推定されている。
中国の「後漢書」「宦者列伝」に、宦官の蔡倫が105年に、樹皮、布、魚網などをつかって紙をつくったという記録があり、かつてはこれが紙の始まりと考えられていた。しかし、1980年代に甘粛省で発掘された紙は、前2世紀のものと推定されるところから、蔡倫は、アサ、竹、イネわら、コウゾなどを原料とした紙の製法をまとめた人物と考えられるようになった。 三国時代に魏では、蔡倫の製法による蔡侯紙という紙が広くもちいられ、製法の名手があらわれた。原料は、おそらくクワなどの樹皮で、竹の型がつかわれていた。紙の製法は、長く中国の外につたわることはなかったが、150年ごろには、ぼろ布からつくるものが、中国と隣接するトルキスタン地方につたわった。610年には日本にも伝来し、757年には中央アジアにも広まった。
800年ごろにエジプトに紙がつたわり、900年ごろには完全にパピルスにとってかわった。900年代にムーア人がヨーロッパへ製紙技術をつたえた。1150年ごろにスペインのサティバにヨーロッパで最初の製紙工場がつくられ、89年にはフランスのエロー、1276年にはイタリアのファブリアーノに製紙工場ができ、その後3世紀ほどでヨーロッパ各地に広まった。15世紀の中ごろに、携帯できる本の印刷が現実的になり、紙の製造を促進した(→ 印刷)。イギリスで最初に製紙工場がつくられたのは1495年のことで、アメリカでは1690年になってからである。
中国の六朝時代(→ 六朝文化)になると、書家や文人が紙を珍重したので製紙技術は発展したが、量産には限界があり、晋の時代まで公文書には簡牘(かんどく:木や竹をうすく切りだしたもの)がつかわれた。東晋末の楚で簡牘が廃止され、虫害をふせぐため、黄色の染料で染色した黄紙が公文書にもちいられるようになった。 9世紀には、広東省産の竹紙が有名となった。紙の生産は各地でおこなわれるようになり、とくに安徽省は製紙の中心地となり、宣州で産出される宣紙は、現在にいたるまで書画用として珍重されている。原料となるアサ、竹、フジ、フヨウ、コウゾなどの繊維をすいただけの生紙のほか、さまざまな加工をほどこした熟紙があらわれた。唐代には、紙に透かしをいれる水紋紙(花簾紙ともいう)などの手法も考案された。また、薛濤牋(せつとうせん)とよばれる上質でうつくしい紙も唐代につくられた。
中国で発明された紙は4世紀ごろ朝鮮につたわり、写本や外交文書として日本にも伝来した。やがて、国内の原料に適合した製紙技術が開発され、独自の発展をとげた。 日本の伝統的な製紙技術で抄造される紙を一般に和紙とよび、手工芸品として珍重されている。
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