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鉄道

鉄道 てつどう
百科事典項目
項目構成
IX

鉄道車両設計の進歩

19世紀のもっとも重要な発明の中に、エア・ブレーキと連結器がある。今日では、ほとんどのアメリカの車両がエア・ブレーキを装備している。エア・ブレーキは、車両をつなぐ連結器が破損したときや、圧縮空気システムに漏れが生じたときなどに自動的に作動する。1870年代に、アメリカの発明家エリー・ジャニーは、ピボット・ナックル付きの連結器の設計で特許をとった。ピボット・ナックル付きの連結器は、2台の車両をおしつけると自動的に連結し、車両の側面にあるレバーで解除できるもので、87年には、すべての車両にジャニー連結器の改良モデルが採用された。

鉄道建設の初期のころから、車両が衝突したときの衝撃をやわらげるために、車両の先頭と最後尾につける緩衝器が導入された。もっと近代的なものは、緩衝器同士の表面の摩擦を利用するものである。たとえば、アメリカの旅客車両では、車両の両端にある緩衝器の頭は、水平なプレートで、次の車両のプレートの上または下にすべりこんで、コネクティング・プラットフォームを構成する。改良された連結器の場合は、スライド式摩擦装置がばねにかわった。

20世紀になると、車両製造技術の発達によって、車軸にころ軸受が導入された。以後、ころ軸受は、車軸の軸受にとりつけられたスリーブ・ベアリングにかわった。

X

ターミナルと操車場

ターミナルとは、各地から到着する個々の車両が、そこで目的地ごとにわけられ、列車に編成される所である。貨物および乗客ターミナルは、駅の施設だけでなく、ポイントの切り替えをしたり、軌道にのせる機構をもった操車場でもある。ふつう修理工場が隣接し、乗客ターミナルの場合は、売店や操車場、車庫などがある。

車庫では、車両が清掃され、寝台車や食堂車に必需品がはこびこまれる。はいってくる機関車は、列車を受け入れ、操車場で切りはなして、検査、修理、格納などのために機関庫に回送される。貨物ターミナルでは、機関車と乗務員室を切りはなした列車を、編成操車場へ回送して再編成する。水平な線路の場合は、車両を転轍機でうごかさなければならないが、大規模なターミナルでは、ハンプ式操車場があり、重力でうごかす。新しく編成された列車は、別の操車場にすすみ、そこで貨物の積み降ろしや修理、格納または出発のための準備などをおこなう。

XI

アメリカの鉄道

鉄道時代がくる前のアメリカには、2~3線の路面軌道があった。たとえば、1795年に操業したボストンの路面軌道は、煉瓦(れんが)をはこぶためにつかわれた。高く土盛りした線路を、フランジ(輪縁)のある車輪ではしる、いわゆる鉄道といえる最初の路線は、1826年にマサチューセッツで建設されたグラナイト鉄道で、石切り場からネポンセット河畔の埠頭(ふとう)まで花崗(かこう)岩をはこぶものであった。基本的には重力と数頭の馬でうごかしたが、短い傾斜のある所では、連続したチェーンのついた固定式エンジンでうごかした。

この数年前の1815年に、アメリカではじめての鉄道建設許可書が、ニュージャージー州から発明家ジョン・スティーブンスにあたえられた。彼は、T型レールを発明したロバート・スティーブンスの父で、アメリカの鉄道の父ともよばれる。ジョン・スティーブンスはペンシルベニア鉄道の発起人であったが、このプロジェクトを実行にうつす資金がなかった。

アメリカの鉄道網の建設は、1828年になってやっとボルティモア~オハイオ間ではじまり、30年に開通した。

1

鉄道網の発達

大陸横断鉄道は、1836年の政治家ジョン・プリュームとロバート・ジョン・ウォーカーの提案によって本格化した。以後、49年のゴールド・ラッシュと、北西部がカナダに併合されるのではないかという不安に刺激されて、南北戦争の期間中に、ユニオン・パシフィック鉄道の建設がはじまった。

1862年に、ユニオン・パシフィックなど数社の鉄道会社に対し、広範な連邦政府の無償土地払い下げが許可がされた。ネブラスカ州のオマハから西にのびているユニオン・パシフィック鉄道会社の線路と、カリフォルニア州のサクラメントから東にのびているセントラル・パシフィック鉄道会社の線路が、69年にユタ州のプロモントリーで連結され、ついに東海岸と西海岸をむすぶ大陸横断鉄道が完成した。

南北戦争後のインフレで一時鉄道の開発は停滞したが、その後は、とくに中西部および西部を中心に急速な発展をとげた。ところが、1873年の恐慌によって、鉄道株が暴落し、発行価格程度になってしまったため、鉄道の延長は事実上中断してしまった。しかし、80年代になると、再度鉄道建設ブームがおこり、1年間に1万1265.4kmの割合で、路線がのびていった。このブームは、年によって伸び率に差はあったが、1910年までつづいた。

2

鉄道会社の合併

19世紀の後半に、コーネリュース・バンダービルトとその息子のウィリアム・ヘンリー・バンダービルトは、ニューヨーク・セントラル鉄道会社を設立した。20世紀初頭の数年間に、すでに大規模で複雑に発達していたいくつかの鉄道網が合併し、巨大な力をもった鉄道帝国に発展した。ボルティモア・アンド・オハイオ鉄道会社は、一時期、すでに東部および中西部の巨大な鉄道網を支配していたペンシルベニア鉄道会社の傘下にはいった。北西部への大陸横断ルートは、J.P.モルガン社の傘下にはいり、南西部およびサンフランシスコへの大陸横断ルートは、アメリカの鉄道王エドワード・ヘンリー・ハリマンの支配下にはいった。

1870年代までに、鉄道が合併して成長し、巨大な権力と影響力をもつようになったことと、疑問視されるような強引な事業のやり方が原因で、鉄道に対する民衆の反感が高まった。大部分の州で、管轄権をもつ鉄道委員会ができ、87年には、連邦議会が州間商業委員会を設立した。1904年に、アメリカ連邦最高裁判所は、シャーマン・反トラスト法を鉄道に適用した。そして、同年、連邦議会は州間商業委員会に対して、鉄道会社を製造会社および鉱山会社から切りはなすことを命令した。

1960年代以降、多数の鉄道会社の大型合併が実現し、多くの会社がその中に吸収された。なかには倒産した会社もあった。合併によって設立された会社は、68年の、ペン・セントラル鉄道会社。しかし、このペン・セントラルも70年に倒産。76年、ペン・セントラル社をふくむ、北東部の倒産した鉄道会社が連邦議会の法律によって合併し、コンソリデイテッド・レール・コーポレーション(Conrail)が設立された。70年に、グレート・ノーザン社、ノーザン・パシフィック社、およびバーリントン社が合併し、バーリントン・ノーザン(BN)社が設立されたが、その後、BNはセントルイス・サンフランシスコ(Frisco)鉄道会社を吸収した。チェサピーク・アンド・オハイオ、ボルティモア・アンド・オハイオおよびウェスタン・メリーランドの各鉄道会社は、チェシー・システム社の子会社となった。81年にチェシー社は、ファミリー・ライン社と合併し、CSXコーポレーション社を設立した。ファミリー・ライン社はシーボード・コーストライン社、ルイスビル・アンド・ナッシュビル社、およびクリンチフィールド社の集合体であった。しかしながら、ウェスタン・メリーランド社以外は、すべて独立して営業している。

XII

日本の鉄道

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