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Windows Live® の検索結果 1887~1965 近代建築の発展に多大な影響をあたえたスイス生まれのフランス人建築家・画家・文筆家。本名シャルル・エドワール・ジャンヌレ。1887年10月6日、ラ・ショー・ド・フォンに生まれ、当地で美術教育をうけたのち、パリのオーギュスト・ペレのもとで近代建築の手法をまなんだ。ついで短期間ドイツ人建築家ヨーゼフ・ホフマンと仕事をし、1922年パリで従兄弟の技術者ピエール・ジャンヌレと活動を開始。このころから、母方の姓ル・コルビュジエをつかうようになった。 画家、作家としても活動し、絵画においては、キュビスムから派生したピュリスム派のアメデ・オザンファンと協力、1920年に彼とともに「エスプリ・ヌーボー(新しき精神)」誌を創刊して、自分の建築理論をうちだす論文を多数寄稿した。その理論は20年から25年にかけて発展をみせ、やがて家は「住むための機械」であるという理想概念に到達。本質的に機能主義者である彼は、歴史的様式の形態やデザインと決別し、橋や汽船の建造や、鉄筋コンクリート、板ガラス、化学合成物のような近代的素材の使用、時代が必要とする都市計画や住宅計画など、技術的な達成にもとづく新しい20世紀様式を追求した。形態の単純さと機能性に美的効果をもとめた無装飾の建築物は、今日では国際様式としてひろく受容されることになった。 有名な建築作品には、ジュネーブの国際連盟ビルのための設計コンペ受賞作(1927~28)や、パリの大学街のスイス学生会館(1931~32)、マルセイユの集合住宅ユニテ(1946~52)、ロンシャンの巡礼教会ノートル・ダム・デュ・オー(1950~55)、インドの新州都チャンディーガルの都市計画にふくまれる高等法院ビル(1952~56)などがある。またニューヨークの国際連合ビルの設計チームのメンバーにも任命され、縦長のガラス板を表面に使用した事務局が、おもに彼のデザインによって生みだされた。 著作には「建築へむかって」(1923)、「人間の家」(1942)、「カテドラルが白かった時」(1937)などがある。65年8月27日、フランスのカプ・マルタンで没した。 →現代美術と現代建築の「ル・コルビュジエ」
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