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    「テーベ」は東岸を意味する「タ・アペト」との音の類似により、 ギリシャ人 が ボイオティア の古都「 テーバイ 」と同じ呼称を与えたものという説がある。 ... の富と財宝について触れ、感嘆の言説を述べている。

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    ディオニュソス神の帰還とディオニュソス信仰の始まりについての神話、英雄ヘラクレスの誕生と冒険の神話もテーベと縁が深い。 古代のテーベは、アテネと敵対関係にあった。前479年、ペルシャ王クセルクセス1世のギリシャ進撃に際してテーベはペルシャに ...

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    テーベ (Thèbe) は、古代エジプトにあった古代都市の遺跡である。 現在のルクソール近郊にあり、ナイル川東岸、地中海から約800 ... アヌビスという名前はギリシャ人によるものであり、当時のエジプトでは「インプゥ (Inpw)」と呼ばれていた。

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テーベ(ギリシャ)

テーベ Thebes
百科事典項目

古代ギリシャの都市で古代名はテーバイ。アテネの北西、ボイオティア地方のキタイロン山北部に位置した。アクロポリスは、フェニキア王カドモスによって植民されたという伝説にちなんでカドメイアとよばれ、アクロポリスがあった地は、現在テーベ市に属している。古代ギリシャでもとくに神話と伝説が豊富な都市で、テーベの王となり城壁をつくったとされる双子の兄弟アンフィオンとゼトスの物語や、オイディプス一族にまつわる物語がつたわる。悲劇の王オイディプスの運命と2人の息子エテオクレスとポリュネイケスの争いは、外国勢力による「テーベに向かう七将」(アイスキュロス作)の遠征をひきおこし、さらに戦死したその7人の将軍の子供たち(エピゴノイ:後継者)によるテーベ攻略をもたらした。ディオニュソス神の帰還とディオニュソス信仰の始まりについての神話、英雄ヘラクレスの誕生と冒険の神話もテーベと縁が深い。

古代のテーベは、アテネと敵対関係にあった。前479年、ペルシャ王クセルクセス1世のギリシャ進撃に際してテーベはペルシャに協力し、プラタイアイの戦でギリシャ連合軍とたたかった。前431年にはじまったペロポネソス戦争ではスパルタの味方となり、戦争末期には先頭にたってアテネを破壊した。しかし、まもなくスパルタの権力伸長をおそれ、前394年には反スパルタ連合にくわわった。前371年、レウクトラの戦でエパメイノンダスがスパルタ軍をうちやぶり、テーベはギリシャ世界の覇権を手にした。しかし、前362年にマンティネイアの戦でエパメイノンダスが戦死すると、テーベの覇権はおよそ9年で幕をとじた。

その後テーベはアテネと同盟し、マケドニア王フィリッポス2世のギリシャ進出に対抗した。しかし同盟の力はおよばず、前338年、カイロネイアの戦でギリシャ軍は大敗した。フィリッポスの死後、テーベは自治と独立を回復しようとしたが失敗、前335年にはフィリッポスの息子で後継者のアレクサンドロス大王がテーベを徹底的に破壊し、生存者の多くを奴隷として売りとばした。アレクサンドロスは、神殿と詩人ピンダロスの生家をのぞきすべてを破壊したといわれる。前315年、マケドニア王カッサンドロスの手でテーベは再建され、一時は繁栄したが、前1世紀には寒村にすぎなくなっていた。

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