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ポルトガルは共和国で、国家元首は、5年ごとに国民の直接選挙で選出される大統領である。大統領は、行政府の長である首相を任命するほか、議会および内閣の解散権、議会で採択された法案の拒否権などをもち、陸・海・空3軍の最高司令官を兼務する。一方、首相は内政と外交を担当する。内閣は18名ほどの大臣からなる。 立法権は一院制の共和国議会にある。議員は比例代表制による選挙で選出され、任期は4年。議会の議席数は230である。 普通裁判所は、日本の地方裁判所にあたる第一審裁判所、高等裁判所にあたる第二審裁判所(控訴裁判所)、最高裁判所からなる。ほかに、法律の合憲性を審査する憲法裁判所、国や地方自治体の公的支出を監督する会計裁判所などがある。 ポルトガルの地方自治の基本単位は市町村である。その下位団体として、キリスト教の教区に由来する区があり、いずれも住民が直接投票でえらんだ議会をもつ。海外領土のアゾレス諸島とマデイラ諸島は独自の政府と議会をもつ自治地方となっている。本土には、市町村を管轄する行政区画として18の県がおかれているが、1990年代から地方自治推進のための法整備がはじまり、リスボン大都市圏、ポルト大都市圏につづく広域行政組織として市町村共同体の編成がすすめられている。
主要政党は社会党(PS)、社会民主党(PSD)、民衆党(CDS-PP)、共産党(PCP)、緑の党(PEV)。1974年の民主化後、連立政権がしばしば交代したが、85年の総選挙で社会民主党が過半数を制して初の単独安定政権が生まれ、95年までつづいた。95~2002年は社会党が、02年からは社会民主党と民衆党の中道右派が連立与党となったが、05年の総選挙で社会党が単独で与党の座にかえりざいている。
NATO(北大西洋条約機構)の加盟国であるポルトガルは、近代的な軍備を有する。徴兵制は2004年に廃止され、18歳以上を対象とする志願制となった。2004年の兵力は、陸軍2万6700人、海軍1万950人、空軍7250人である。
現在のポルトガルの地域は、前2世紀にローマの属州ルシタニアの一部となるが、5世紀には西ゴート族(→ ゴート族)に支配がうつり、その後8世紀になるとイスラム教徒のムーア人に征服された。997年にレオン王のベルムド2世が、現在のポルトガル北部をムーア人から奪回し、1064年にはフェルナンド1世(カスティリャ王)が、現在のコインブラまでレコンキスタ(国土回復戦争)をすすめた。レコンキスタ後の地域は封建体制のもとにくみこまれた。 1093年、アンリ・ド・ブルゴーニュは、カスティリャのアルフォンソ6世からポルトガル伯の爵位をあたえられた。その子アフォンソ・エンリケスは1143年にカスティリャから独立し、ポルトガル王アフォンソ1世として即位、79年にはローマ教皇によってポルトガルの独立が承認された。
アフォンソ1世は、新王国の領土をテージョ川まで拡大し、その子サンチョ1世は、新領土へのキリスト教徒による再植民を奨励した。12世紀後半には、北アフリカのイスラム王朝であるムワッヒド朝がキリスト教徒の南下を一時はばんだが、1212年ナバス・デ・トロサの戦でカスティリャ軍が勝利したのちは、さらにレコンキスタがすすめられた。 アフォンソ3世はアルガルベ地方を征服し、ポルトガルの首都をコインブラからリスボンへうつした。彼は身分制議会にもとづく統治をはじめ、王権の強化をはかった。その子のディニスはコインブラ大学を創立し、ポルトガル海軍の発展につくした。1294年にはイギリスと通商協定がむすばれた。ディニスをついだアフォンソ4世は、カスティリャのアルフォンソ11世とむすんでムーア人とたたかい、1340年のサラド川の戦で大勝をおさめた。 1385年、ジョアン1世によってアビス朝が成立する。同年、彼はカスティリャのたび重なる攻撃に対して勝利をおさめた。彼の子エンリケは、アフリカ西海岸をとおってインドにいたる航路を開拓、植民地帝国ポルトガルの端緒をつくった。マデイラ、アゾレスの両諸島が発見され、また、モロッコにせめこんだポルトガル軍は、1415年、ムーア人からセウタをうばった。→ ポルトガル王国
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