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Windows Live® の検索結果 1386?~1466 イタリア・ルネサンスの彫刻家。本名ドナート・ディ・ニッコロ・ディ・ベット・バルディ。ルネサンスの彫刻様式を確立し、近代彫刻への道をひらいた。 梳毛(そもう)工の息子としてフィレンツェに生まれる。17歳のとき、フィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂のブロンズ扉を制作していた名高い彫刻家ロレンツォ・ギベルティの助手となる。その後、有名な建築家フィリッポ・ブルネレスキの共作者にもなり、彼とともに古代のモニュメントを研究するため、ローマをおとずれたとつたえられる。 彼の生涯は、ほぼ3つの時期にわけられる。第1期の形成期は1425年以前で、ゴシック彫刻の影響がのこるが、一方で古典的かつ写実的な傾向もみせている。この時期の作品として、彫像「聖マルコ」「聖ゲオルギウス」「福音書記者聖ヨハネ」そして「ヨシュア」がある。 第2期(1425~43)は、だいたい古代彫刻の規範や原理との関係によって特徴づけられる。1425年から35年までは、フィレンツェの彫刻家・建築家のミケロッツォとともに制作し、バルトロメオ・アラガッツィの記念碑などをふくむ多くの企画にたずさわった。これら共同制作では、ミケロッツォは建築設計やブロンズの鋳造補助を担当し、ドナテロがほぼすべての彫像を制作した。30年から33年まで彼はローマに滞在し、「祈りの天使」と「キリスト埋葬」の浮彫でかざられたサン・ピエトロ大聖堂聖具室の著名な聖櫃(せいひつ)など、多くの作品をのこした。しかしながら、この時期のもっとも名高い作品、つまりルネサンスで最初の裸体像であるブロンズの「ダビデ」(1430~35頃)を制作した地は、フィレンツェだった。 第3期の成熟期では、古典の影響からはなれ、性格描写や劇的な動きにおける写実性を強調するようになった。この時期の代表作は、「聖アントニウスの奇跡」と「ガッタメラータ騎馬像」、そして「ユディトとホロフェルネス」である。 ドナテロの彫刻は、15世紀のフィレンツェおよび北イタリアの彫刻に影響をおよぼし、また、イタリア絵画、とくにパドバのマンテーニャの作品に大きな刺激をあたえた。1466年12月13日に死去したドナテロには、多くの弟子がいたが、そのうちもっとも重要な彫刻家はデジデリオ・ダ・セッティニャーノである。
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