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トゥールーズ・ロートレック,H.de

トゥールーズ・ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec
百科事典項目

1864~1901 フランス後期印象派の画家・版画家・挿絵画家。19世紀末パリの奔放な夜の歓楽街をつぶさにえがいた。

アルビの由緒ある貴族の家に生まれたが、14~15歳のときに両脚を骨折し、先天的なカルシウム欠乏症もあって、以後、下半身の成長はとまったままだった。骨折をなおす間に母親の勧めで絵をかきはじめ、やがてフランスのアカデミックな画家、ボンナとコルモンのもとで修業をつんだ。

パリのモンマルトル地区にあるキャバレー「ムーラン・ルージュ」などにいりびたったが、機知にとんだ彼の言動はアイルランドの作家オスカー・ワイルド、オランダの画家ゴッホ、フランスの芸人ギルベールといった芸術家や知識人たちにもてはやされた。また劇場やサーカス、パリの売春宿にも足しげくかよい、これらの名士や場所の印象が、肖像画や独創的で力感にあふれたスケッチとなってのこっている。代表作には「ムーラン・ルージュに入るラ・グーリュ」「ムーラン・ルージュに入るジャヌ・アブリル」(ともに1892)、「ムーラン街のサロンにて」(1894)がある。しかし、酒浸りの生活のために、やがて全身麻痺となる発作をおこし、マルロメにあった家族の屋敷で没した。

多作だった彼の作品のほとんどは、アルビにあるトゥールーズ・ロートレック美術館に所蔵されている。作品は絵画、素描、銅版画、石版画、ポスター、さらには当時の新聞の挿絵など膨大な数にのぼる。ロートレックは同時代の画家、とくにドガゴーギャンの様式を巧みにとりいれて、独自のきわめて個性的な手法を生みだした。パリで当時流行していた日本美術の影響をうけて、するどい輪郭線、不均衡な構図、斜角の効果、色彩の平坦な広がりを多用している。ゴッホ、スーラルオーにあたえた影響は大きい。

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