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軍の指導者層が大量に粛清されたこともあって、ソ連は第2次世界大戦の初めには大きな打撃をこうむった。1941年に人民委員会議長(首相)にも就任したスターリンはみずからナチス・ドイツに対する戦争の指揮にあたり、多大な人的犠牲をいとわずたたかい、とくに自らの名を冠したスターリングラード(現、ボルゴグラード)の戦での勝利は、独ソ戦の転換点となった。 スターリンは、テヘラン(1943)、ヤルタ(1945)、ポツダム(1945)での連合国の首脳会談に出席して、東ヨーロッパにおけるソ連の勢力圏をみとめさせたうえ、戦後、ソ連軍が解放した国々の大部分に共産主義支配を拡大した。 晩年にはますます偏執狂的になり、身体も弱まって、あらたな粛清を開始しようとしていた。1953年1月、スターリンは、おもにユダヤ人からなるモスクワの医師たちを謀殺容疑で逮捕するよう命令。このいわゆる医師団事件は、30年代への回帰の先ぶれかと思われたが、同年3月5日のスターリンの死によって、新たな流血はふせがれた。
強大な国家の冷酷な支配者スターリンの評価については、議論がわかれている。ソ連時代の歴史家は、スターリン体制はいくつかの誤謬(ごびゅう)があったものの基本的には偉大なものだったと評価してきたが、西側の学者やグラスノスチ(情報公開)以後のロシアの学者は、スターリン時代の血まみれの粛清を非難している。
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