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  • 朝鮮戦争 - Wikipedia

    朝鮮戦争 (ちょうせんせんそう、 1950年 6月25日 - 1953年 7月27日 停戦)は、成立したばかりの 大韓民国 (韓国)と 朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮)の間で 朝鮮半島 の 主権 を巡って、北朝鮮が韓国に侵略し勃発した国際戦争 [1] である。

  • 朝鮮戦争

    タミヤのミリタリーミニチュアシリーズには、これら朝鮮戦争に出撃した戦闘車両も豊富にラインナップ。情景展開や作り較べも興味深いでしょう。 ★クリックすると大きな写真と解説が見られます。 ■朝鮮半島上空のライバル

  • 釜山でお昼を - 朝鮮戦争

    fSvjXcAa9J3OA Home > 歴史 > 戦争 朝鮮戦争の概略 呼称 当事者によって呼称が異なります。 日本国内では朝鮮戦争:朝鮮動乱:朝鮮事変と通常呼びます。 韓国=韓国戦争またはユギオ(6.25) 北朝鮮=祖国解放戦争

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朝鮮戦争

朝鮮戦争 ちょうせんせんそう
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

1950年6月~53年7月に、朝鮮半島全土を舞台として、大韓民国(韓国)軍・国連軍と朝鮮人民軍(北朝鮮軍)・中国人民義勇軍の間でたたかわれた戦争。朝鮮動乱、韓国動乱ともいう。なお、韓国では「六・二五動乱」、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では「祖国解放戦争」とよんでいる。

II

背景

1910年の韓国併合以来日本の統治下にあった朝鮮半島は、第2次世界大戦での日本の敗戦を境に連合国であるアメリカ(北緯38度線以南)とソ連(同以北)による占領管理下に入った。48年8月、まずアメリカ管理下の地域が大韓民国の樹立を宣言、李承晩(イ・スンマン)が大統領に就任した。翌9月にはソ連管理下の地域が朝鮮民主主義人民共和国の樹立を宣言、金日成(キム・イルソン)が首相に就任した。

以後、米・ソを軸とする東西両陣営の冷戦がすすむ中、それぞれ米・ソの軍事的・経済的支援をうけ、たがいに祖国統一をかかげて北緯38度線を境に反目しあうことになった。

III

戦争の勃発と国連軍編成

1950年6月25日早朝、朝鮮人民軍は38度線を突破して南部への進撃を開始した。李承晩政権の朝鮮武力統一を未然に防止し、「南半部」を解放する、というのがその理由だった。同日、国連安全保障理事会は、中国の代表権をめぐって会議への出席をボイコットしていたソ連の代表が不在のまま、北朝鮮非難決議を採択、27日には国連加盟諸国に対し韓国への軍事支援を勧告した。その背後には、米大統領トルーマンの国連への積極的働きかけがあった。

朝鮮人民軍はその間にも進撃をつづけ、1950年6月28日には韓国の首都ソウルを陥落させた。一方、在日米軍は7月1日、釜山に上陸して北上を開始し、沖縄駐留のB-29が北朝鮮爆撃を開始した。また、6月27日には第七艦隊台湾海峡に展開した。7月7日、国連は国連軍総司令部の設置を決定、東京の連合国軍最高司令官マッカーサーを国連軍総司令官に任命し、米軍を中心に16カ国からなる国連軍が編成された。

IV

中国人民義勇軍の参戦と戦線の膠着

朝鮮人民軍の勢いは、国連軍参戦後もやまず、1950年8月下旬には、国連・韓国軍は、半島南東部の釜山・大邱などがある一角においこまれた。9月15日、マッカーサーの指揮のもとに国連軍はソウル近郊の港町仁川への上陸を決行、韓国内の朝鮮人民軍を南北から挟撃した。

これを機に戦局は逆転し、1950年9月26日に国連軍はソウルを奪回、10月1日には韓国軍が38度線を突破し、つづいて7日に国連軍も同線を突破した。そしてこの日、国連総会は武力による朝鮮統一を承認した。国連・韓国軍はなおも北上して19日に平壌を占領。一部の部隊は26日に鴨緑江まで到達した。

しかしその前日、中国人民義勇軍が参戦して朝鮮人民軍とともに反撃に転じ、1950年12月4日に平壌を奪回、翌51年1月4日にはソウルを再占領した。これに対し、2月1日、国連総会は中国非難決議を採択、3月14日には国連・韓国軍はソウルを再奪回した。

しかし、戦線は38度線を境に膠着(こうちゃく)状態におちいり、打開策として中国本土やソ連領シベリア諸都市への原爆攻撃を主張したマッカーサーは、トルーマンにより、1951年4月11日に国連軍総司令官を解任された。以後も戦線膠着状態を打開するために、細菌弾、毒ガス弾も使用されたが、決定的な戦局の転換はおきなかった。

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