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戦線が膠着状態になったのをみて、1951年6月23日、ソ連の国連代表マリクはラジオで休戦を提案、関係各国はこれをうけいれ、7月10日に開城を会場(10月に板門店に移動)として朝鮮休戦交渉がはじまった。しかし、交渉は遅々としてすすまず、断続的に2年間におよび、ようやく53年7月27日板門店において、国連軍総司令官マーク・クラーク、朝鮮人民軍最高司令官金日成、中国人民義勇軍司令員彭徳懐の間で休戦協定が調印された(韓国は拒否)。 休戦交渉の間も戦闘はつづき、戦争の全期間を通じて、国連・韓国軍側は、50万人近い戦死者と100万人ほどの負傷者を出し、朝鮮人民軍・中国人民義勇軍側は100万人ほどの戦死者とほぼ同数の戦傷者を出したとされる。また、民間人の死亡者、行方不明者は南北あわせて200万人以上にのぼったといわれる。 いっぽう、国連軍の兵站基地となった日本は朝鮮特需(→ 特需)によって経済復興をはたし、冷戦と米中対決がすすむ中で、1951年9月にはアメリカの支援をえて、中・ソなどをのぞいて第2次世界大戦の連合国48カ国との間でサンフランシスコ講和条約に調印し、主権を回復した。またアメリカとの間に日米安全保障条約を締結して、西側陣営の一員としてあゆみだした。
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