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人間を生物学と人文科学、社会科学などの総合的視点から研究する学問。一般には文化人類学と自然人類学に大別される。自然人類学は、人間の生物体としての進化や、形質面での適応について研究し、文化人類学は、人間の社会生活におけるさまざまな営みに着目し、言葉や文化、習慣などについて研究する。 人類学はいろいろな文化をとおして人間を考えるという意味で、通文化的な学問といえる。かつての人類学研究は、ヨーロッパ以外の人々とその文化を研究してきたが、最近の研究は、現代文明そのものにも焦点をあてるようになってきた。人類学者は、人々の具体的な生活や活動の場に深くはいりこむフィールドワークとよばれる現地調査をおこない、そこでえられる直接の見聞を重視する。
古代の旅行者や歴史家も、自分たちとはちがう文化に関心をもち、その異質な文化について書物をあらわした。ギリシャの歴史家ヘロドトスは、異文化の地を広く旅してまわり、それぞれの場所での生活様式をくわしく観察している。彼は現代の人類学者と同じように、その地の情報にくわしい人に直接あって話を聞き出し、家族組織や宗教行事などが文化によってことなることに、大きな関心をよせたのである。ローマ時代の歴史家タキトゥスも、後98年ごろ「ゲルマニア」をあらわし、ゲルマン民族の習慣や特徴、地理的な分布などについて記述している。 15世紀にはじまる大航海時代になると、新しい知識がふえ、思考方法にも新しい展開がみられる。新大陸アメリカやアフリカ、南アジア、太平洋の島々で「発見」されたさまざまな民族や文化は、やがて人類史についての考え方を根本から転換させていった。 チュルゴーやコンドルセなど18世紀のフランス啓蒙主義の学者たちは、長い人類の歴史や、文明の起源とその発展過程を理論化しようとこころみた。しかし、このような人類学的哲学は、聖書の天地創造の話とは矛盾するものであり、当時のキリスト教の立場と対立することになる。神学上の教義では、単純な文化しかもたない人々は神の恩寵(おんちょう)からみはなされて「未開」状態に堕落していった人々の生き残りであると考えられていた。 1856年、ドイツでネアンデルタール人の化石人骨がみつかり、90年代にはジャワ原人の骨が発見された。これは人類が長い進化の歴史をもつことをしめす画期的な証拠となった。19世紀には、ほかにも重要な考古学上の発見があった。たとえば、ブーシェ・ド・ペルトがパリ近郊で発見した数多くの古代の石器によって、先史時代の人類が数万年におよぶ時間をかけて文化を発展させてきたこともわかってきた。 人類学がはっきりとした学問分野として登場するのは19世紀中ごろのことである。アメリカで人類学の基礎をきずいたのは、アメリカ先住民のイロコイ同盟(→ イロコイ諸族)の研究で功績をあげたモルガンである。のちにモルガンは、文化進化についての一般理論をうちたてた。人類社会は「野蛮段階」からはじまり、植物の栽培と動物の飼育に特徴づけられる「未開段階」をへて、文字を発明する「文明段階」へと徐々に発展をとげたという理論である。ヨーロッパで人類学をおこしたのはイギリス人タイラーであり、とくに宗教の起源に着目しながら文化進化の理論をとなえた。 タイラーやモルガンをはじめとする当時の研究者は、人類の諸文化を合理性という観点からとらえている。そして、文化はどこでも同じように複雑な形態へと進化すると考えた。 人類学の応用分野での活動も19世紀にはじまる。1837年には先住民保護協会が設立され、翌38年にはパリ民族学会が発足した。これらの団体は、オーストラリア、アメリカの先住民に対する虐殺や、奴隷貿易などの非人道的な行為に反対し、ヨーロッパ人の良心にうったえる活動を展開した。
自然人類学は、おもに人類の進化についての研究、生物体としての人間の研究、人間以外の霊長類の研究をおこなう学問である。
自然人類学の代表的な分野のひとつが人類進化の研究である。古人類学者の一家として有名なリーキー家の業績などは、一般にも広く知られている。とりわけ、1960年代に東アフリカのオルドバイ峡谷から発見されたいくつかの化石人骨は、それまでの人類の生物学的進化についての考え方を大きくかえるものだった。74年にエチオピアで発見された猿人化石アウストラロピテクス・アファレンシスは、「ルーシー」というニックネームで知られているが、400万~300万年前の人類の仲間である。 1970年代後半から80年代にかけておこなわれた発掘調査では、現代人の直接の祖先であるホモ・ハビリスやホモ・エレクトゥスが230万~160万年前までは、猿人(アウストラロピテクス属やパラントロプス属)と東アフリカで共存していたという事実を明らかにした。2001年春には、アウストラロピテクス・アファレンシスが生存していた350万年前の地層から、別系統の化石がケニアで発見された。発見したのはルイス・リーキーの義理の娘ミーブ・リーキーである。アファレンシスと外見は大きくちがって、サルのように口の部分は前につきだしておらず、後のホモ・ハビリスにより近いひらたい顔をもち、これまで知られていなかった種だという。ケニアントロプス・プラティオプス(平らな顔をしたケニアの人間の意)と名づけられたが、これでアファレンシスの時代に猿人はすでに2系統存在していたことがわかった。しかし、どちらの猿人が現生人類の直接の祖先だったかはわかっていない。 近年の研究調査によって、続々と人類の祖先の古い化石がみつかっている。最近までは確実なところでは約440万年前と考えられるラミダス猿人(アルディピテクス・ラミダス)が最古とされてきた。ラミダス猿人は、エチオピア・アワシュ川中流のアラミス地域で発見され、1994年に発表された。しかし、2000年12月には、フランス高等教育研究機関コレージュ・ド・フランスなどの発掘チームがケニアの大地溝帯(アフリカ大地溝帯)から、さらに古い約600万年前の初期人類化石を発見したと報告した。また2001年7月には、エチオピア中部のミドルアワシュで、エチオピアの学者がラミダス猿人の亜種の化石をみつけたと発表、これは580万年前のものである。チンパンジーと同じくらいの大きさで、二足歩行の可能性があるという。 フランスのチームの化石は、ケニア北西部バリンゴにある600万年前の地層でみつかった。大腿骨や足、手の一部、歯のついた顎(あご)、完全な犬歯や臼歯、下顎などがある。大きさがチンパンジー程度あり、オルロリン・ツゲネンシス(通称「ミレニアム・アンセスター(先祖)」)と名づけられた。手の特徴から木登りが得意で、足の形態からは二足歩行していたと発掘チームは考えている。彼らが主張するようにこの種が二足歩行をおこなっていたとするならば、ラミダス猿人よりもさらにはやい人類出現の証拠となる。なお、2002年7月には700万年前にさかのぼる可能性のある猿人(サヘラントロプス・チャデンシス)の頭部化石がアフリカ中北部のチャドでみつかったとの報告があり、さらにはやい時期である可能性も出てきた。 遺伝子解析や化石の研究などから、人類は類人猿から約500万年前に分岐したといわれてきたが、これらの発見により分岐は約600万年前であった可能性が高まり、700万年前であった可能性さえある。人類の進化はそれまで考えられていたよりもはるかに複雑な過程をたどっていたようだ。 道具を製作し、使用する能力は、250万年以上前にさかのぼれることが明らかになっている。古い化石人骨にともなって簡素な石器が、東アフリカの各地で発見されたのである。道具についての能力は、その後の人類の進化にとって重要な意味をもっている。そこで、この化石人骨は「器用なヒト」という意味のホモ・ハビリスと命名された。今のところホモ・ハビリスがもっとも古いホモ属ということになる。その歯の形態や、道具を使用していたという事実から判断して、肉を食べる機会が多かったと考えられる。これは、菜食中心であったと推測されるアウストラロピテクスとの大きな違いである。 人類が最初に進化した場所は、アフリカであったことはほぼ間違いない。200万年前よりも古い人類の化石は、いずれもアフリカから発見されているし、その種類や数もかなり多くなってきた。ホモ・ハビリスは体が小さく、成人の脳の大きさは平均して650cc程度である。 しかし、およそ180万年前になると、同じホモ属でもかなり体が大きく、脳の大きさも800ccをこえる別種が出現する。この新しい大型のホモ属の化石人骨も、東アフリカから発見されている。それはホモ・エレクトゥスと総称されるもので、おそらく150万年前までには、アフリカからヨーロッパやアジアの地へと広がったと考えられている。 ホモ・エレクトゥスの化石人骨としてもっともよく知られているのは、かつてはピテカントロプスという学名でよばれていたジャワ原人と、北京郊外の周口店で発見され、シナントロプス・ペキネンシスという学名がつけられていた北京原人である。これらの原人は東アフリカのホモ・ハビリスよりもはるかに新しい時代の人類であり、その年代はジャワ原人が120万~70万年前、北京原人が50万~25万年前と推定されている。 同じホモ・エレクトゥスの仲間でも、北京原人は、ジャワ原人とくらべると、脳がわずかに大きく、平均して1050cc程度ある。ホモ・エレクトゥスの化石人骨はヨーロッパやアフリカの各地でも発見されており、いっしょに出土する数多くの石器類などの考古学的証拠からは、採集狩猟生活をいとなんでいたことがわかる。周口店の発掘調査では、火の使用の痕跡と考えられる灰の層がみとめられている。 有名なネアンデルタール人や、そのあとでユーラシア各地から発見された旧人の化石人骨については、現生人類の直系祖先ではなく、現代人(ホモ・サピエンス)とは別系統のヒトの仲間で、数万年前に絶滅したと考える研究者が多い。いずれにしても、ネアンデルタール人は23万~3万5000年前ごろに、ヨーロッパや中東地域の各地に数多くすんでいた採集狩猟民だった。がっしりとした体つきで、眉(まゆ)の部分がひさしのようにつきだした顔に特徴がある。脳の大きさは最大で1600ccをこえ、現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)よりむしろ大きい傾向がある。 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの中間的形態をしめす化石人骨も発見されている。一部の研究者は、これを両者の混血とみなしている。やがて、4万~1万年前の氷河時代末期になると、もはや現生人類とかわりのない特徴をもった人類が、アメリカ大陸やオーストラリア大陸をふくむ世界各地にあらわれてくる。 → 人類の進化
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