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項目構成
自然人類学のもうひとつの大きな分野は、現在の人間の生物学的特徴をめぐる研究である。20世紀のはじめごろまでは、人種をどのように区分すればよいか、それぞれの人種の特徴はどのようなものか、というような研究が主流だった。そして、皮膚や目の色、毛髪の特徴、血液型、頭の形など、さまざまな項目についての計測法が進歩するにつれ、人種の分類はますます複雑になっていった。→ 人種 現在では「純粋な人種」や「人種の原型」という考え方は誤解をまねくものとして、強く否定されている。今日地球上にすむ人類はすべてホモ・サピエンスであり、基本的には同一の祖先集団に由来しているのである。 確かに遺伝的・形態的特徴をみると、各地域集団の間にはある程度の違いがみとめられる。しかし、集団内には常に大きな個人差が存在し、かつ隣りあう集団間の違いはたいていはっきりしたものではなく連続的である。人間を人種ごとに分類する行為には、社会的あるいは政治的な因子も強くはたらいている。たとえば「東洋人」「黒人」「ヒスパニック」「白人」などは、遺伝的・形態的特質だけではなく、文化的特徴も考慮にいれて社会的に規定された集団なのである。 やがて人間生物学者の関心は、遺伝の複雑な仕組みのほうにむいていった。今は、いろいろな条件のもとで、遺伝的適応と生理的・文化的な適応との間の相互関係がしらべられている。たとえば、病気や栄養不良の場合、あるいは高地や熱帯などのきびしい環境のもとでくらす場合などである。医療人類学者は、高血圧や糖尿病などの症例をとりあげ、文化や社会に関連するデータを遺伝の研究にとりいれる試みをおこなっている。
生物体としての人間は、猿や類人猿と同じ霊長類に属している。したがって近縁種にあたるヒヒやチンパンジー、ゴリラなどを研究対象にして、その群れの生活や行動、食性などをしらべることは、人類学にとって重要な研究分野になっている。 タンザニアの国立公園内で、数年にわたって野生チンパンジーの観察をつづけていたイギリスの人類学者グドールは、チンパンジーが小枝をつかってアリ釣りをしたり、石や棒をうまくなげるという事実を確認した。実験室内でも、チンパンジーが重い棒をつかって剥製(はくせい)のヒョウを攻撃したという観察例が報告されている。つまりチンパンジーは簡単な道具をつかう能力をもっているのである。チンパンジーが声や身振りで相手に意思をつたえることも確認された。 猿や類人猿の集団生活のあり方やコミュニケーションの方法についての研究は、遠い過去におこった人類の進化を理解するうえで重要な見通しをあたえてくれる。
自然人類学の中心課題は人類の起源と系譜(→ 人類の進化)であろう。日本各地から出土する石の矢じりは古くから注目された。日本の先住民を学問的に論じたのはお雇い外国人である。モースは1877年(明治10)に大森貝塚を発掘し、プレ・アイヌ説をとなえた。ベルツは日本人を長州型と薩摩型の2型にわけ、前者は上流階級、後者は庶民にみられるとした。小シーボルトは文政年間に来日した父の大シーボルトの説をついでアイヌ説をとなえた。 日本人として最初に人類学を手がけたのは坪井正五郎であり、同志らと1884年に学会(後の日本人類学会)を創設した。彼は留学中にまなんだ英国流の人類学の普及につとめ、日本の先住民についてはアイヌの伝説によるコロボックル説をとなえたが、骨学的研究(→ 骨)によりアイヌ説をとなえる小金井良精はこれに反論し、激烈な論争があった。1920年(大正9)ごろには縄文文化と弥生文化の別がみとめられるようになり、鳥居龍蔵は前者はアイヌによるが、現代日本人は朝鮮半島をへて渡来し弥生文化をになった固有日本人から派生したと考えた。以上はいずれも交代説とよばれる。 清野謙次は石器時代から奈良朝(→ 奈良時代)まではたえず混血はあったとし、石器時代から金属器時代への移行期には生活変動により体質にめざましい変化があったと考えた。長谷部言人は文化の進歩により咀嚼(そしゃく)器や四肢の使用法がかわり、頭骨や四肢骨に変化はあったが、石器時代から現代まで日本人は遺伝的に連続すると説いた(→ 遺伝)。これらは移行説とよばれる。 太平洋戦争後になると、研究者の数がしだいにふえ、研究調査は活発になる。鈴木尚は膨大な人骨資料を収集、関東を中心とする人骨の形態の変遷の検討から縄文から弥生移行期と明治維新期に変動が大きいことを明らかにして、移行説を補強した。他方、金関丈夫は北九州、山口の弥生人骨をもとに朝鮮半島からの渡来を主張した。これは渡来説とよばれる。多数の解剖学者(→ 解剖学)からなる生体測定班(→ 年代測定法)の成果をもとに小浜基次は現代日本人を畿内型と東北・裏日本型にわけ、それぞれ朝鮮半島とアイヌに関連づけた。 今日の研究者は重点の置き方に若干の違いがあるが、移行説と渡来説を折衷する案を支持している。最近はたんに形態学だけでなく、人類遺伝学、考古学、年代学など幅広い領域との連係がすすむ一方、日本周辺の地域での調査が徐々に可能になり、その解明がすすめられている。重要なこととして、アイヌを欧米の一部の研究者はコーカソイド起源としたのに対し、今日の日本の人類学者はモンゴロイドの一員と考えている。山口敏はアイヌと縄文人との強い類似性を人骨の形態から指摘している。 自然人類学の教育機関としては1939年(昭和14)に東京大学理学部に人類学科、62年に京都大学理学部動物学教室に自然人類学研究室、68年に同大学に霊長類研究所がもうけられたが、各医科・歯科大学解剖学教室などからも自然人類学志望の研究者が多数でている。68年には東京と京都で第8回国際人類学民族学会議が開催された。その前後から自然人類学の研究は国内外で急速に広がり、骨の研究も運動との関連で検討され、とくに咀嚼、歩行(→ 直立二足歩行)の研究はすすんでいる。 人類進化との関連で霊長類の形態、生理機構・生化学的研究がなされ、今西錦司らによるニホンザルやチンパンジーなどの生態・行動の研究は世界をリードしている。鈴木尚は1961年にイスラエルのアムッドでネアンデルタール人を発見したが、今日でも国内の研究者によってアフリカやジャワで人類化石の探査が進行し、かなりの成果がえられている。そのほか須田昭義らの日米混血児の成長の縦断的研究など、ヒトの変異や適応にかかわる研究が重ねられている。
文化人類学は、さまざまな場所でおこなわれる現地調査(フィールドワーク)が基本になっている。20世紀前半の人類学の調査目的は、うしなわれつつある人間の生活様式を記録にのこすことにあった。ヨーロッパ以外の文化が、しだいに近代化あるいはヨーロッパ化し、独自性をなくしつつあったからである。文化によってさまざまな違いをしめす社会組織、宗教、衣服、道具、食料獲得の方法や言語について記録する仕事は、民族誌研究とよばれてきた。一方、民族誌の内容を比較分析し、世界中の諸民族、諸文化に共通する原理を発見したり、文化についての一般理論をもとめるのが民族学である。 20世紀後半になると、民族学はその一分野である文化人類学に代表されるようになり、イギリスやフランスで独自に発達してきた社会人類学ともしだいに融合していく。一時期、人類学は社会体系についての研究に焦点をあてるべきだとする社会人類学の主張と、文化の比較分析を重視するという、アメリカで主流だった考え方をめぐって、かなり論争があった。しかし実際の人類学調査の場面では、この2つの立場はそれほど矛盾しない。社会体系だけを切りはなして調査することはできないし、具体的な生活や行動の様式について研究するときも、常に社会体系が考慮される。最近アメリカでは、この両者をあわせて社会・文化人類学とよぶこともある。 日本では、まだ民族学という言葉がのこっている。たとえば学会組織の名称は日本民族学会であり、もっとも大きな文化人類学の研究組織も国立民族学博物館という名称になっている。しかし、大学などをはじめとして一般には文化人類学という言葉が定着してきた。
19世紀の人類学者たちが発見したもっとも重要な事実は、前近代のあらゆる社会では、さまざまな社会的関係の中心にかならず親族関係がみいだせるということだろう。クラン(氏族)やリネージなどの親族組織が基本的集団になっている社会はかなり多い。親族組織の長を父方が継承する場合、この仕組みを父系とよぶ。商業活動が活発となり大規模な都市が発展するまでは、ヨーロッパの多くの社会は、政治面でも経済面においても父系親族集団が中心になって組織されていた。 母方を通じて親族集団の長がうけつがれる母系原理の社会はあまり多くない。これを最初に記録したのは古代ギリシャのヘロドトスで、事例を小アジアのリキアでみいだしている。アメリカ先住民のイロコイ、チェロキー、クリーク、ナバホ、また、アリゾナとニューメキシコ両州のプエブロなどは母系の親族体系をもつ社会として知られている。 親族関係を母方と父方の双方からもとめるのが双系親族組織である。これはアフリカ南部のカラハリ砂漠にすむクンや、イヌイットとエスキモーなど、もっとも簡単な社会組織からなる採集狩猟民社会にみられる。一方では、現代のアメリカ合衆国などのように複雑な文明社会も、双系の親族体系をもっている。ただし現代文明では、親族以外の関係によってむすばれている組織が数多くあり、双系親族組織はあまり重要な社会的役割をはたしてはいない。 リネージやクランなどの親族集団では、ひとりの共通の祖先がいて、成員はすべてその子孫と考えられている。複数の親族集団が共通の祖先によってむすびついている場合もある。このため、親族関係が基本になっている社会では、儀礼や戦闘などの際には、かなり多くの人々が結集する。このときに自分たちと、近隣の人々や敵との区別がはっきり意識される。 かつて親族研究は文化人類学の中心的な課題だった。フランスの人類学者レビ・ストロースは親族の基本構造についての理論をうちたて、日本の文化人類学にも大きな影響をあたえた。
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