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15~16世紀初期に南アメリカのペルー南部高原のクスコを中心にアンデス一帯に大帝国をきずいたケチュア語を話す先住民族(ケチュア)。インカはケチュア語では太陽の子すなわち王の意味だが、南アメリカを征服したスペイン人は王だけでなく帝国や帝国をささえた民族集団もインカとよんだ。→ アメリカ先住民
インカはもともとペルー南部高地にすむ、勇武な小部族だった。1000~1100年ごろクスコの谷に移動し、それから3~4世紀の間、その地域の人々を支配して貢物をおさめさせていた。15世紀までは、とくに勢力をひろげようとはせず、せいぜい14世紀後半の第6代ロカ王の時代にクスコから約30km南までを領土とした程度だった。 最初に帝国主義的な拡張をはじめたのは、15世紀初めの第8代ビラコチャ王の時代で、勢力をクスコを中心とした40km四方の範囲にひろげた。その後数十年間、2人の王のもとでインカ帝国は拡大していく。1人は一部の歴史家の間で最大の征服者と目されている第9代パチャクティ王で、次がその息子のトパ王である。帝国の勢力がもっとも拡大したのはトパ王の息子ワイナ・カパク王の治世である。領土は南北4000km、東西が805kmに達した。学者の推定では350万~1600万人のさまざまな部族出身者がこの帝国に属していたとされる。 1525年、ワイナ・カパク王は後継者をきめずに死去したため、帝国は分裂する。彼の2人の息子ワスカルとアタワルパは王位継承をめぐって対立、32年アタワルパにワスカルはとらえられてしまった。このような微妙な局面で、スペイン人の征服者ピサロが火器と約180名の部下をともなってやってきたのである。 人々は白い肌をしたスペイン人を、インカの神の生まれ変わりと信じて抵抗せず、ピサロらは、アタワルパ王をとらえるだけで、高度に中央集権化された広大な帝国を支配することができた。アタワルパは、ピサロが自分を王位からしりぞけて代わりにワスカルをたてることを恐れ、ひそかにワスカルを処刑するよう命じる。そして、自身の身代金として帝国の隅々から莫大な金の装飾品をあつめてさしだしたが、1533年ワスカルの殺害などを理由に絞首刑になった。ピサロはワスカルの弟マンコに王位をつがせたが、マンコは数年後、反乱をおこして、山岳地帯のビルカバンバに都をつくりインカ王権を維持した。マンコは44年、供の3人に暗殺された。マンコの没後、王権は3人の息子へと継承され、最後の王となったトゥパク・アマルはついにスペイン軍にやぶれて斬首(ざんしゅ)され、王統はたえた。
インカ帝国の絶頂期には、ほかのどのアメリカ大陸の先住民国家にもまさる政治・行政システムをつくりあげていた。帝国は農業を根本とし、高度に組織化された神権国家であり、全能の神とみなされる王が統治していた。王の次に権力をもっていたのは王族と上流貴族で、その下に行政官と下級貴族が属し、さらに職人と大多数を占める農民がいた。 国は4つの行政区域に大別され、それぞれがいくつかの県、そしてさらにより小さな社会経済単位にわかれており、もっとも小さい単位は地縁・血縁にもとづく大家族的な集団アイユとよばれる。ほぼ自給自足を実現しているアイユの農業は帝国の監督下にあり、役人が作物の選定や植えつけを細かく指導し、排水、肥料のやり方、灌漑(かんがい)、段々畑の作り方などの技術をおしえた。帝国は収穫の一定割合を徴収して貯蔵し、必要なときに配給した。 もっとも主要な作物はジャガイモとトウモロコシである。リャマは運搬にもちい、アルパカは家畜として毛を衣服に利用した。ほかには犬、モルモット、アヒルなどが飼われていた。手工業として重要だったのは土器類、織物、金属装飾、道具・武器の製造などである。 馬や車はなく、伝達手段としての文字もなかったが、首都クスコでは帝国中の出来事をくわしく知っていた。道路網を国土にはりめぐらせ、訓練された飛脚がリレーして1日で約400kmをつなぐ、迅速なコミュニケーションを可能にした。また軍隊の人数、人口データ、穀物の在庫などの統計を、縄の結び目(→ 結び)と色で記録するキープ(結縄)があり、容易にコミュニケーションをはかることができた。バルサ材のボートによって迅速な河川交通もおこなった。帝国の隅々まで管理することができたのも、このような効率的な情報交換システムのおかげといってよい。 インカ文化のすばらしさにはさらに大規模な神殿・宮殿・要塞(ようさい)、および公共建築物にみられる石造建築の見事さがあげられる。とくにクスコにある太陽神殿は、土木器材を最低限しかつかわないで巧みにたてられている。ほかにも、全長約100mの吊り橋、灌漑のための水路、水道橋など技術水準の高度な土木建築が数多い。鋳物や道具、装飾品の製造に適している銅とスズの合金、青銅の技術もすでにひろまっていた。 宗教は高度に制度化されていた。最上の神格は、創造神で万物の支配者たるビラコチャである。ほかの主要な神には、太陽の神・星の神・気象をつかさどる神などがある。数多い祭礼儀式には、農作物の生長と収穫および病気の治癒をいのるものが多い。とくに重要な儀式では生きた動物が生けにえにされ、ときには人間が神にさしだされることもあった。インカは民俗音楽などの豊かな民衆文化も生みだしたが、現在ものこっているのはごく一部である。マチュ・ピチュは、インカ文明の一端をつたえてくれる貴重な遺跡である。→ 太陽崇拝
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