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    エジプト美術 (エジプトびじゅつ) ギリシア の 哲学者 プラトン が、「エジプト美術は10000年を経ても変わっていない」といっているように、 エジプト文明 は保守的、伝統的とされていた。エジプト美術は 宗教 、特に死後の世界との接点が多く見られる。

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エジプト美術

エジプト美術 エジプトびじゅつ
百科事典項目
項目構成
2

彫刻

先王朝時代の粘土、骨、象牙による初期彫像からはじまったエジプト彫刻は急速に進展した。ジェセル王の時代まで、支配者の巨像は彼らの霊魂をやどすものとして制作された。エジプトの彫刻は立方形や正面観を重んじた。初期の彫刻素材の石塊は長方形で、その正面と両側面に彫像の形取りの線がひかれた。できあがった彫像はおもに正面からみるものと思われていた。肝心なのは、その人物の本質を恒久的なイメージとしてあらわすことだったので、丸彫である必要はなかった。

エジプトの美術家は今日理解されているような「動き」の表現には関心がなかった。立像は歩行のポーズではなく、休止のポーズをとっている。人体解剖学は第4王朝時代の初めから理解されてはいたが、形態を理想化する傾向が強い。とりわけ王の像は極度に理想化され、威厳をおびてあらわされた。ギーザの第2のピラミッド建造者であるカフラー王の座像(前2530頃)は、エジプト王の彫像のきわだつ特質をすべてそなえている。国土統一を象徴する標章で装飾された玉座の王は、手を膝におき、まっすぐに頭をあげて、じっと遠方をみつめている。頭部の背後のホルス神をあらわすハヤブサは、王が「生けるホルス神」であることを象徴している。この閃緑岩の彫像はあらゆる部分が統一と均衡をたもち、神々しい王権の力強いイメージをかもしだしている。

浮彫彫刻は神殿の壁面では王を賞賛し、墓地では霊魂が永遠に必要とするものを供給するという2つの重要な役割をはたしている。一般の墓地の上部にもうけられた部屋は、生前にたのしんだり活躍したりした場面の浮彫でかざられた。人物を2次元的にあらわす浮彫や絵画にも、やはりその人物の本質をのこそうとする願望がみてとれる。そのために、典型的な描写では、頭部と下半身は真横から、眼と上半身は正面からとらえたものをくみあわせている。各部分をもっともわかりやすい視点からえがいて、全体のイメージを生みだしている。国王や貴族に適用されたこの定則または規範は、召使いや野良仕事をする人々の描写ではさほど厳格にまもられてはいない。複雑な動きの場合には、身体各部を別々の視点からえがかねばならないのは明らかだが、顔を真正面からえがくのはまれであった。浮彫は迫真的な効果をますために彩色されるのがふつうで、細部のほとんどは彩色だけですまされた。しかし純粋な絵画による装飾は古王国時代の遺跡にはほとんどみられない。

第6王朝の末期になるとエジプトの中央権力は弱まり、地方の支配者たちはファラオの墓所の近くでなく自分の領地で埋葬されることをえらんだ。この王朝時代のペピ1世(前2395~前2360頃)の銅像(前2300頃)は、最古の金属彫像である。第1中間期(第7~第10王朝)は反乱と動乱の時代であった。古王国時代の美術的伝統が細々と維持されたにすぎず、南のテーベの強力な支配者が国を再統一して、ようやく美術活動は健全な状態にもどった。

IV

中王国時代

第11王朝でふたたび全土が統一され、その中王国時代の最初の支配者メンチュヘテプ2世は古王国時代のピラミッドに触発されて新たな様式の霊廟(れいびょう)を創造した。岩山にかこまれたテーベの西岸の台地に、土手道をもうけた葬祭神殿、いわゆる「流域神殿」を建造した。壁面は神々にかこまれた王をあらわす浮彫で装飾されている。

1

建築

メンチュヘテプ2世時代から第13王朝にわたる中王国時代の建築全般については、現存例だけでははっきりつかめない。しかし、第12王朝のセンウセルト1世(前1962~前1928)の小神殿の石材が、後代のカルナック大神殿のピュロン(塔門)に再利用されたことがわかった。聖舟の行列行進の際にたちよる場所としてつかわれたこの小神殿は、この時代の様式の典型とみていいだろう。立方体を設計の基本として、きっちりと直立した支柱に(まぐさ)をわたしたこの小祠堂は、直線の純粋さと抑制された均衡によって永遠性を感じさせる。角柱には王や神々をあらわしたみごとな高浮彫の装飾がみられる。

2

彫刻

中王国時代の彫刻は新しい写実主義の試みをおこなったと評されている。初期の作品は古王国時代の範例をじかに模倣して古い伝統の復興をこころみているが、第12王朝の彫刻は写実主義への新鮮な関心をしめしている。アメンエムハト3世やセンウセルト3世などの肖像は、古王国時代のものとははっきりとことなる。

第12王朝では、王のイメージの神格化や理想化はみられなくなった。権力者の用心深さや懸念などが、顔の表情に明らかにうつしだされている。はりつめた肌の下にしめされる骨格には、それまでのエジプト美術にはなかった本格的な写実主義がみとめられる。一般人の個人彫像は、いつの時代にも王家の様式の模倣につとめているので、第12王朝の貴族の肖像にもやはり写実主義がみられるのはいうまでもない。

3

絵画

貴族の墓はあいかわらず、王都ではなく自分の領地の中心に建造された。南のアスワン墓地など多くの墓が浮彫で装飾されているが、中部エジプトのベニ・ハサンやアル・ベルシャの墓地では、絵画の装飾もみられる。これらの遺跡からわかるのは、地方の職人も王家の工房の基準に追従していたことである。いくつかの新しい類型と描写がみられはするが、主題や画面構成は古い基準によっている。絵画はこの時代特有の長方形の木製棺の装飾にもえがかれている。

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