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項目構成
新王国時代の装飾美術は彫刻や絵画と同じく高い完成度をしめしている。廷臣や貴族がもちいる日用品は、入念なデザインで丹精をこめてつくられている。アラバスター、黒檀、金、象牙、半宝石といった豊富な素材をもちいて、みごとな芸術品が生みだされた。1922年に発見された「ツタンカーメンの王墓」からの出土品は、その典型例である。 この時代の陶器にも、やはりはなやかな装飾への好みがしめされ、主としてかがやかしい花のモティーフの図柄があしらわれている。
これまでの歴史をみてわかるように、第18、第19、第20王朝の前半の王のような強権をほこった王のあとには、国家を掌握しきれない弱い支配者があらわれる傾向がみられる。第20王朝最後の強力な支配者ラメセス3世は、テーベ近郊マディーナト・ハーブーのナイル河西岸に巨大な葬祭神殿(前1198~前1167)を建立した。これは今日もっともよく保存されている遺跡のひとつである。宮殿が神殿の近くに配置されているのは、王がその神殿を頻繁(ひんぱん)におとずれていたことをしめしている。ラメセス3世は力をつくして外敵の侵入をふせいだが、その戦いは神殿の壁面の浮彫になまなましく記録された。 第21王朝から第24王朝は「第3中間期」とみなされ、ナイル河のデルタにあるサイス、タニス、ブバスティスの支配者のもとで350年以上つづいた。エジプトを再統一した第25王朝の支配者は異国スーダンのクシュ出身だったが、エジプトの神や慣習を尊重し、エジプトの栄光をとりもどすことにつとめた。クシュ出身の王たちは過去の有名なエジプト王の名前を自分の名前にもちいたり、神殿を再建したり、新たにたてたりした。美術では、過去の王朝時代の作品から場面や主題をとりいれた。ピラミッド式墓地はクシュで復活した。やがてアッシリア人がエジプトに侵入し、クシュ出身者による支配は終わりをつげた。 アッシリアから自立した第26王朝はやがてペルシャ帝国の侵入で終焉(しゅうえん)し、それ以後は短期間をのぞいて、エジプトは異邦人の支配から完全にのがれることはできなかった。前332年のアレクサンドロス大王や前30年のローマ帝国による征服で、エジプトはローマ世界にくみいれられたが、古い美術の伝統には固執した。アレクサンドロスとその後継者たちの姿は、神殿の壁面にエジプトの王たちとしてエジプト様式の浮彫であらわされている。アレクサンドロスによってきずかれたプトレマイオス王朝時代やローマ帝国時代に建造された神殿には、伝統的なエジプトの様式の影響が色こくしめされている。 エジプト美術は侵入者の文化にも大きな影響をあたえた。初期ギリシャの美術家は、自身の様式を発展させるためにエジプト美術から多くをまなんだ。古代ローマ人はエジプト美術をこよなく愛し、無数の作品を故国にもちかえり、ローマの美術家によるエジプト彫刻の模造品まであらわれた。エジプト美術の影響とエジプトの古代遺物への関心は、今日もなおつづいている。
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