![]() |
Windows Live® の検索結果
Windows Live® の検索結果 項目構成
フランス中部の北寄りにある地域圏(レジオン)。ピカルディ、オートノルマンディ、ブルゴーニュ、シャンパーニュアルデンヌ、サントルの各レジオンに接する。面積は1万2011km²、人口は1149万1000人(2005年推計)。 「イルドフランス」とは「フランスの島」を意味する。フランスの王朝の発祥地であり、政治、経済、文化におけるフランスの中心をなしている。行政的には8つにわかれる。パリ市のほか、パリに隣接し「小さな王冠」とよばれるオードセーヌ(県都はナンテール)、セーヌサンドニ(同ボビニー)、バルドマルヌ(同クレティユ)の3県と、それにその周りのエソンヌ(同エブリー)、セーヌエマルヌ(同ムラン)、バルドワーズ(同セルジーポントワーズ)、イブリーヌ(同ベルサイユ)の「大きな王冠」とよばれる4県である。レジオンの中心都市は首都パリ。パリの人口は1920年当時の290万人をピークに減少。地価と家賃の高騰、公害、交通渋滞などの理由により住民が郊外の諸県に流出したことによる。80年代からは「大きな王冠」4県で開発がすすめられ、人口の増加がいちじるしい。 フランスのレジオンのうちで、面積は最小だが、パリをふくむため、人口はもっとも多く、もっとも豊かである。また、地域差はあるが、がいして都市化がすすんでいる。
イルドフランスはパリ盆地の底部をなす台地に位置する。この台地は第三紀の石灰岩の層や砂の層などいくつもの硬軟の地層が交互につみ重なってできているため、浸食作用に差が生まれ、あちらこちらに小高い丘がのこったり谷がほられたりしている。 レジオンの北部はかつてのパリシイとフランス地方で、石灰岩の台地を、マルヌ川、ウルク川、オワーズ川がうるおしている。北西部はベクサンフランセ地方で、石灰岩の台地を肥沃(ひよく)な土壌がおおい、いくつもの谷がつくられている。南西部のマントワ地方では森と耕地が広がり、セーヌ川をはじめとして多くの川がながれ、風光明媚(めいび)な土地である。南部はユールポワ地方で、ビエーブル川、エソンヌ川などがながれ、また森におおわれた丘や牧草地など変化にとんだ景色が広がる。その南はローム層でおおわれた広大なボース平野で、典型的な開放耕地(→ 三圃制の「三圃制の起源と発展」)となっている。レジオンの東部はセーヌ川とマルヌ川にはさまれたブリ地方である。ボース平野とブリ地方の接するあたりには、「フォンテンブローの砂」とよばれる厚い砂の層が堆積(たいせき)し、奇岩と森という独特の光景があらわれる。以上みたようにイルドフランスの景観の特色は、広く開けた耕地と緑豊かな谷と森である。 気候は全般に海洋性気候だが、内陸性気候の影響もうけており、2つの影響下にあるため、ひじょうに不安定である。夏の平均気温は17.9°C、冬は3°C。年間日照時間は北部では約1700時間、南部では1850時間。パリの年降水量は620mmである。レジオンの北部と東部は冬がきびしく雨量も多い。
イルドフランスでは第3次産業が支配的で、その就業者は労働人口の70%をこえ、ことにパリでは80%に達する(フランス全体では60%強)。これは中央集権の伝統によるもので、国の政治経済の中枢をなす行政機関、立法機関、司法機関のほかに、大企業の本社がパリ首都圏に集中し、オフィスの総面積は、東京、ニューヨークについで、ロンドンとともに第3位となっている。ラデファンスやマルヌラバレなどの郊外にオフィス用高層ビル群が誕生し、商業センターも建設されている。観光産業も重要で、パリはヨーロッパ随一の観光都市として多くの名所旧跡を有している。 また工業でもフランス第1の中心地である。主要部門は、国内で最大の就業人口をもつ農産物加工業、電気工業、機械工業。なかでも最大の就業人口をかかえるのが自動車工業で、ルノー、プジョー、シトロエンの工場がおかれている。しかし、ルノーの本拠地ともいえるセギャン島の工場の閉鎖にみられるように、近年自動車部門の就業人口は減少の一途をたどっている。また、製油所がセーヌエマルヌ県のグランピュイにあり、サンナゼールやルアーブルからパイプラインではこばれた原油を精製。セーヌ川、マルヌ川、オワーズ川沿いにはいくつかの火力発電所もおかれている。現在もっとも工業化がすすんでいるのはパリ北西部のセーヌ川沿いで、セーヌ下流のルーアンやルアーブルがパリの外港の役割をはたしている。近年は、主要な工業地域がしだいに周辺部へ広がっており、マルヌ川やオワーズ川沿いはめざましく発展しつつある。 農業人口は、工業、サービス業にくらべてひじょうに少なく、わずかに労働人口の0.5%が従事しているにすぎない。しかし、南部や東部やベクサン地方では農業が盛んで、ベクサンでは年間生産額の90%以上を畑作によっている。イルドフランスの農業の特徴はその収益率の高さで、それは、肥沃な土壌にくわえ、経営規模が大きく(平均農家規模は61ha)、また機械化された集約農業がすすんでおり、かつ農産物加工施設と連携していることが要因となっている。また、パリの巨大な消費をにない、輸出もとりあつかうランジス中央市場を販路としてもっていることもあって、イルドフランスの農業の産業別総所得はフランス全体の平均を85%もうわまわる。生産品としては小麦が圧倒的に多く、フランスの小麦生産の中心をなしていたが、1950年代から南部でトウモロコシの栽培が急増している。その他テンサイ(甜菜)も国内有数の生産量をもつ。最近は野菜や園芸植物の栽培ものび、モンモランシーのサクランボなど、果物もいくつかの特産品を生みだしている。牧畜はふるわないが、フォンテンブロー周辺にはいくつかの有名な種馬牧場がある。東部のブリ地方では酪農の専業化がすすんでおり、ブリ・チーズなどが有名である。 レジオンの人口と活力に比例して交通網も発達している。道路網は、鉄道網ともども古くから中央集権的なつくりになっており、5本の主要高速道路がパリから放射状にでている。その結果首都の大気汚染がはなはだしく、パリをとおらずに地方都市間をむすぶ横断高速道路や外環高速道路を建設することで解決がはかられてきた。鉄道網も放射状になっており、パリ市内には幹線や新幹線TGV、近郊線が出入りする6つの始発駅がある。サンラザール駅、モンパルナス駅、オーステルリッツ駅、北駅、東駅、そしてリヨン駅である。地下鉄や航空輸送も充実し、フランスの2大国際空港でもあるシャルルドゴール空港とオルリ空港を有する。
かってのイルドフランス地方は現在のセーヌサンドニ県、バルドワーズ県、オワーズ県などの一部にあたる。ここはライン川をこえてやってきたケルト人のベロワキ族、スエッシオネス族、パリシイ族、メルディ族の居住地であった。前51年カエサルに征服され、その後「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」の時代には、北はベルギカ州、南はリヨンをふくむルグドゥネンシス州にわかれた。しかし5世紀にはローマ帝国によるガリア支配はゆらぎ、当地を支配していたローマの司令官シアグリウスが486年フランク族のクロービスにソワソンの戦でやぶれ、ガリアはフランク族の手にうつった。 クロービスの死後、領土は彼の息子たちにわけられ、イルドフランス地方も分割と併合をくりかえした後、カロリング朝のピピン3世の手にわたり、その後ロベール家に伯領としてあたえられた。ロベール家の先祖ロベール・ル・フォールはかつてノルマン人とたたかったが、その子パリ伯ウードもノルマン人からこの地をまもった英雄で、短い間ながら西フランク国王(→ フランク王国)にもなった。その弟のロベールも同様に国王となり、さらにロベールの子ユーグ・ル・グランはみずから国王にこそならなかったが「フランク人の大公」という称号もえて、公領となったイルドフランス地方のみならず西フランク王国の実権をにぎった。 987年その子のユーグ・カペーがフランス国王にえらばれ、カロリング朝にかわり新たにカペー朝(→ カペー家)を開いた。カペー朝は1328年にシャルル4世が没するまでつづいた。王位継承は初期は選出によったが、その後は王が生前に後継者を任命した。メロビング朝やカロリング朝とちがってカペー朝は単独で相続したため、領土が分割されることなく、政治的にも安定した。ユーグ・カペー当時の王の直轄地は、サンリスからコンピエーニュ、ポントワーズとポワッシー周辺、それにオレルアン伯領という狭いものだった。 その後直轄地が拡大するにつれて、イルドフランスという地方の範囲も広がり、その歴史はフランス王国そのものの歴史と一体化した。また当地の方言であったフランス語が国家の言語となり、政治だけでなくあらゆる分野で他の地方をしのいだ。サンドニ、パリ、ラオン、ボーベ、ソワソン、モーのカテドラルにみられるゴシック美術もこの地で生まれた。16世紀に一時的に国王たちがロワール渓谷に居城をもうけたこともあったが、イルドフランスは一貫してフランスの首都だった。フォンテンブロー、サンジェルマンアンレー、サンリス、ベルサイユ、ルーブルなどの王宮やサンドニ大聖堂の歴代の王の墓所がそれをしめしている。
© 1993-2008 Microsoft Corporation. All Rights Reserved. |
© 2008 Microsoft
![]() ![]() |