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パキスタンの経済発展を阻害する要因のひとつに、近代的輸送施設の未整備があげられる。道路の総延長は25万8340km(2004年)だが、舗装率は65%しかない。鉄道の総延長は7791km(2006年)。最大の港湾はカラチ港だが、1980年代にカラチの東側、カラチ製鋼所に隣接して第2の港ムハンマドビンカシム港が開港した。 国際空路には国営のPIA(パキスタン国際航空)が運航している。かつてはPIAが国内空路も独占していたが、1990年代初めに民間航空会社4社が国内線に参入した。国際空港はカラチ、ラホール、ラワルピンディなどにある。
急増するパキスタンの人口は、おもに国土の東側の谷や平野に集中している。動物の生息地はあらされているが、海岸沿いの低地やマングローブのしげる沼沢地など、重要な湿地はまだのこっている。西部の山岳地帯は生態的にはさほど損害をうけていないが、それでも地域によっては村落や農業などが、生物多様性に影響をおよぼしている。 国土の約9%が保護区となっており、10カ所の国立公園をはじめ、多くの野生生物保護区や禁猟区が指定されている。ただし生態学的な意義よりも、猟獣の保護や観光を目的にしたものが多い。しかも法律による強制力がないため、実質的に保護されているのは、国土の約9.1%(2007年)にすぎない。1人当たりの農業生産高は1980年から約20%上昇しているが、耕地の4分の1近くが灌漑されており、塩類集積(塩水害)が大きな問題となっている。ヤギなどの家畜の過剰放牧もいたる所で生態系をおびやかしている。
パキスタンは東パキスタンをうしなったのち、1973年に新たな憲法を制定した。その後、新憲法には多くの修正がくわえられた。77年の軍事クーデタ後は戒厳令がしかれ、73年憲法は施行停止状態となった。85年の選挙で議会政治に復帰、戒厳令が解除され憲法も復活した。しかし99年10月の軍事クーデタで、憲法はまたもや停止され、暫定憲法命令が発せられた。その間の91年にはイスラム法であるシャリーアを国家最高の法律とさだめる法律が発効。2002年8月には、11月の民政移管を前にして憲法が改正され、下院の解散権、憲法の改正権など、大統領の権限が大幅に強化された。
国家元首は大統領で、連邦議会によって選出され、任期は5年。行政の最高責任者は首相で、首相は議会に責任をもつ。 立法権は二院制の連邦議会にある。小選挙区制の普通選挙によって選出される下院(国民議会)議員は、2002年10月の選挙で定数217から342にふえ、うち60議席が女性に、10議席が非イスラム教徒の少数民族にわりあてられる。任期は5年。上院の議席も87から100にふえ、うち88議席は4つの州議会議員によって選出され、のこる8議席と4議席は連邦直轄地域とイスラマバード連邦首都地域からえらばれる。任期は5年。 司法の最高位として最高裁判所があり、各州に高等裁判所がおかれている。ほかに連邦シャリーア裁判所があり、イスラム法による裁判がおこなわれる。
1977年7月に政党活動はきびしく制限され、79年10月には完全に禁止されたが、85年12月に活動の再開がみとめられた。93年10月の総選挙でパキスタン人民党(PPP、現在はPPP-P)が政権をにぎり、それまでの政権党であるパキスタン・ムスリム連盟(PML)は野にくだった。97年2月の総選挙でパキスタン・ムスリム連盟が政権を回復したが、99年10月の軍事クーデタで政権の座をうばわれた。(これ以後の動きは「歴史」の項を参照。) 軍隊は志願制で、総兵力は61万9000人(2004年)。このうち陸軍は55万人、空軍は4万5000人、海軍は2万4000人。ほかに国家警備隊18万5000人などがいる。
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