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国際連合(国連)の暫定統治がつづいているコソボ自治州の将来について、2005年11月からコソボとセルビアの合意をめざして仲介活動をしていた国連事務総長特使のアハティサーリは、07年2月、EU(ヨーロッパ連合)を中心とする国際社会の監督下での実質的独立をみとめる包括的解決案を両者に提示したが、セルビアはこの解決案の受け入れを拒否した。 3月、アハティサーリ特使は調停をうちきり、コソボ独立を勧告する内容の報告書を国連安全保障理事会(安保理)に提出したが、特使の独立勧告を支持する欧米諸国に対して、ロシアは「コソボ独立は周辺地域の民族紛争を誘発しかねない」と独立に反対し、安保理決議は見送りになった。9月からは、アメリカ、ロシア、EUが新たな仲介役となって直接協議がおこなわれたが、進展がないまま12月の交渉期限をむかえた。11月のコソボ自治州議会選挙では、急進独立派の最大野党コソボ民主党が第1党の座を獲得しており、もはやコソボの一方的独立宣言はさけられない情勢となった。 2008年2月3日、大統領選挙の決選投票がおこなわれ、民主党の現職、タディッチがセルビア急進党のニコリッチを小差でやぶり再選をはたした。両者ともコソボの一方的な独立には反対していたが、タディッチはコソボ問題と切りはなしてEUの早期加盟をめざすとし、ニコリッチは、主要国がコソボ独立を支持しているEUへの加盟の見直しを示唆して、1月の第1回投票では首位にたっていた。決選投票で逆転勝利したタディッチは、EU加盟を支持する国民の選択とうけとめた。 2月17日、コソボ自治州議会は臨時議会を開いてセルビアからの独立を宣言した。セルビアとロシアは「一方的な独立の宣言は国際法違反であり、独立は無効」と猛反発したが、アメリカとEU主要国は独立を承認。セルビア政府は、コソボの国際機関加盟を阻止すると表明するとともに、コソボを国家として承認した国に対しては対抗措置を講じるとして、アメリカなどから大使を召還した。ベオグラードでは、コソボ独立に反対する市民の一部が暴徒化してアメリカ大使館などを襲撃する事件もあいついだ。 一方、EUへの加盟をめぐって、タディッチ大統領とコシュトニツァ首相の溝も深まっていった。3月、EUがコソボ独立承認を撤回しないかぎりEU加盟は放棄するというセルビア急進党にコシュトニツァが同調したことで、閣内で多数を占めるタディッチ派との対立は決定的となり、コシュトニツァは連立不可能として辞意を表明。議会は解散し、5月の前倒し総選挙でEU加盟推進の是非を国民に問うことになった。4月末、EUとセルビアは、安定化・連合協定(SAA)に正式調印した。前倒しの協定締結は、EUによるセルビアの親欧勢力支援の一環であり、発効は条件をみたすまで保留とする条件付きである。 5月11日の総選挙では、タディッチの民主党を中心とする政党連合「欧州のセルビアのために」が102議席をえて大勝し、セルビア急進党は第2党に後退した。「欧州のセルビアのために」単独では過半数にたりないことから、セルビア急進党も、コシュトニツァがひきいる第3党のセルビア民主党と協力して民族主義政権の樹立をめざしたが、両陣営から注目されていたセルビア社会党が6月下旬に「欧州のセルビアのために」との連立に合意。7月上旬に、民主党のツベトコビッチを首相とする親EU派政権が発足した。タディッチの側近で経済専門家であるツベトコビッチは、EU加盟にむけてセルビアの経済改革をすすめることを目標にかかげている。
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