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プロローグ; ナチズムの起源と勃興; 第1次世界大戦後のドイツ; ナチ党の結成; 党の指導権をにぎったヒトラー; ミュンヘン一揆(ビアホール一揆); ナチ党と国会選挙; ナチズムの宣伝と普及; 1933年以後のナチ党組織; ドイツ社会の再編; 戦争経済としての「新秩序」計画; ナチズムがもたらしたもの
ファシズムの一種で、ドイツの政治運動の中で、1920年にヒトラーが、みずからの党を国民社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei(NSDAP):ナチ党またはナチス)と名づけたことに由来する。33~45年に、ヒトラーが樹立した全体主義国家「第三帝国」において、ナチズムの運動は頂点に達した。
ナチズムは、多くの点でイタリア・ファシズムと似ているが、次のようなドイツ的特殊性をもっている。1つはプロイセンの伝統である軍部の権威主義と対外膨張主義、2つにはドイツ・ロマン主義の伝統である反合理主義・反自由主義・反民主主義、3つ目は北方民族(いわゆる純粋アーリヤ民族)は肉体的・道徳的・文化的に優秀であるとする人種論、そしてもうひとつは国家を理想化し、すぐれた個人を賛美し、因習的束縛から解放するドイツ哲学の伝統である。 こうしたドイツ的思潮の上に、次のような理論が積み重ねられた。地政学者ハウスホーファーは、ドイツ外交に大きな影響をあたえた民族の生存圏という考えをうちだした。ナチ党の理論家ローゼンベルクは、ドイツに帰化したイギリス人チェンバレンの理論を利用して、ナチスの人種理論をつくりあげた。
ナチズムの直接の起源は、第1次世界大戦でドイツが敗北したことにあった。ベルサイユ条約はドイツのみに戦争責任をおわせ、ドイツは植民地をとりあげられ、巨額の賠償金を課された。そのためドイツ国民は深刻な政治的・経済的破局になげこまれ、1923年に頂点に達した1兆倍という史上最悪のインフレは、中間層の人々を完全にうちのめした。貧困にあえぎ絶望的となった中間層の多くは、戦後の数年間に誕生した急進的政治集団の宣伝にとりこまれていった。 さらに、経済的安定の方策がとられてから数年しかたたない1929年には、世界的規模の経済恐慌がはじまり、ドイツをすくいようのない不景気にしずみこませた。この間、民主制ワイマール共和国は、左翼からも右翼からもはげしく攻撃された。この絶望的状態からぬけだすには、共和国はあまりに無力であることが、だれの目にも明らかになっていった。そして33年には、選挙人の大多数が、力のある2つの政党、共産党とナチ党のどちらかを支持した。
ナチ党は、1919年にドレクスラーによってミュンヘンで結成されたドイツ労働者党を起源としている。ヒトラーが入党した9月には、この党は正式党員およそ25人、そのうちわずか6人が、討論集会や講演会で積極的に活動していたにすぎなかった。ヒトラーは、入党してまもなく、党のリーダーとなった。 1920年2月24日にはじめての大衆集会がミュンヘンでひらかれ、ヒトラーは自分も作成に参加した党綱領をよみあげた。25カ条からなる綱領は、大げさな民族主義的要求、ゆがめられた社会主義的思想、反ユダヤ主義のごちゃ混ぜだった。たとえば綱領第25条の内容は、「大ドイツ国家を目標として結集する。ベルサイユ体制の廃棄。ドイツ民族の食糧確保のために領土を要求する。ドイツ人の血統をもつ者にかぎり、民族同胞たることができる」というものだった。
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