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項目構成
プロローグ; ナチズムの起源と勃興; 第1次世界大戦後のドイツ; ナチ党の結成; 党の指導権をにぎったヒトラー; ミュンヘン一揆(ビアホール一揆); ナチ党と国会選挙; ナチズムの宣伝と普及; 1933年以後のナチ党組織; ドイツ社会の再編; 戦争経済としての「新秩序」計画; ナチズムがもたらしたもの
1933~35年、国内の民主的制度は、完全なまでに中央集権化された国家にとってかわられた。州政府が従来おしすすめてきた広範な自治は廃止され、これらの準国家的機関は、きびしく統制された中央政府の道具に改変された。国会は儀式をとりおこなう機能しかもたず、もはや立法機能をもたなかった。一元化(同質化)とよばれるナチ化政策の進行にともなって、商業・労働・農業・教育・文化の分野で、すべての組織がナチ党の支配と命令に服することになった。プロテスタント教会にも、ナチズムの教義が導入された。ユダヤ人だけは、特別法によって法の保護から排除された。 権力掌握の過程で、ナチ党指導部が直面したもっとも困難な問題は、失業問題だった。この時期ドイツの産業は、全能力の58%しか操業できず、失業者数は600~700万人とみつもられた。ナチ党員の中にも、数万人の失業者がいたが、彼らは、ヒトラーが、国民社会主義の宣伝中にふくまれていた反資本主義的政策を実現し、独占企業と独占カルテルに終止符をうち、小経営の大量創設によって産業を復興するだろうと、期待をかけた。 ナチ党の大衆党員は、「第2革命」を要求した。エルンスト・レームがひきいる突撃隊は、この第2革命のプログラムとして、突撃隊が国防軍にとってかわることを主張していた。ヒトラーは、平民的な国民社会主義体制をえらぶのか、それとも大工業と国防軍参謀本部との同盟をえらぶのかという、二者択一をせまられた。そして彼は、あとの道をえらんだ。 のちに「長いナイフの夜」として知られる1934年6月30日の夕べ、ヒトラーは、国防軍を挑発する恐れのあった手におえない突撃隊の隊員たちの殺害を、親衛隊に命じた。突撃隊隊員と、レームをふくむ党内指導者、そして400人から1000人にのぼるその支持者たちが、多くは反ヒトラー行動とはなんのかかわりもなかったが、殺された。粛清は、シュライヒャー将軍や、ホーエンツォレルン家王朝の復活を主張する王党派のような他の政敵をも、暗殺リストにふくめていた。
反対政党への弾圧と血の粛清も、失業問題を解決しなかった。失業をなくすために、ヒトラーは、ドイツ産業を復興しなければならなかった。彼が採用した解決策は、「新秩序」とよばれるもので、基本とする前提は、次のとおりだった。ドイツ産業の能力をフルに発揮させ高収益をもたらすには、国際貿易・工業・金融におけるドイツの指導力を回復するしかなく、原料の供給源については、かつて他国にうばわれたものはとりかえし、その他のものについては、支配の確立が必要である。そのためにじゅうぶんな量の商業用船舶、近代的な鉄道・航空・自動車運送システムの建設が必要であり、最大限の効率を達成するため、産業の再編成が必要である、というものだった。 これらの前提から、2つの結論が必然的にみちびきだされた。第一の結論は、計画の完全遂行のためには、ベルサイユ条約によっておしつけられた経済上・政治上の制限をとりのぞくことが必要であり、それは最終的には、戦争をひきおこさずにはおかないということである。したがって、経済は、戦争経済として再編されねばならず、戦略物資の原料の自給自足と、国内生産だけでは不足しかつ外国からの輸入も安定しない原料については、合成代用品の生産を発展させなければならない。また、じゅうぶんな量の食糧供給を確保するには、農業発展を管理統制しなければならない、ということだった。 第二の結論は、労働組合とその関連組織の再編、そして企業の再編が必要であるということである。まず労働組合と協同組合の廃止、組合財産の没収、労働者と雇用主との集団交渉の排除、ストライキとロックアウトの禁止、国家が管理するドイツ労働戦線(DAF)への労働者全員の強制加盟がきめられた。そして賃金は、経済省によって決定され、経済相が任命する労働管理官とよばれる政府の官吏が、賃金・労働時間・労働条件についての全問題をあつかった。 また、経済省は、既存のカルテルを大きく拡大し、全産業をカルテル化した。同様に銀行も一元化され統合された。私有財産権は維持され、すでに国有化された企業は、「再私有化」、すなわち私的所有にもどされたが、すべての経営者が、国家のきびしい統制に服した。 結局のところ、「新秩序」とは、4つの銀行と少数の巨大合同企業によって、経済的に支配される体制であった。そこには、軍事鉄鋼企業の大帝国をなしたクルップ一族と、染料・合成ゴム・合成石油その他の製品を生産し、400もの企業群を子会社として支配下においた悪名高きファルベン化学工業がふくまれていた。これらの企業のいくつかは、何百万人もの強制収容者と占領地住民を奴隷労働として利用した。さらに、これらの企業カルテルは、ヒトラー政府が、何百万人ものユダヤ人、ポーランド人、ロシア人その他の人々を、組織的・科学的に絶滅するのに使用する用具をも供給した。→ ジェノサイド:ホロコースト
「新秩序」体制の創建によって、ナチスは、失業を一掃することができた。ドイツ人労働者と農民に、ある程度満足できる生活水準をあたえ、国家・産業・金融の支配的エリート層を裕福にし、こうして途方もない戦争機械をつくりあげた。国内での「新秩序」建設に並行して、ナチスは、政治上も外交上も、より強大なドイツの樹立をおしすすめた。 「ナチズムはドイツ社会の諸問題を解決した。それは1000年にわたって存続するだろう」とヒトラーは自画自賛した。ナチ党は、ワイマール共和国が非力のために対処できなかった問題を解決した。ナチ党は、弱体の共和国を、工業的にも政治的にも強力な国家に改造した。これらは、紛れもない事実である。しかし、この国家改造が、第2次世界大戦の恐怖と、人間の歴史におけるもっとも血生ぐさいもっとも破滅的な闘争という犠牲をはらったことも、同じく事実である。ドイツ国民は、ヒトラー政権下とその後の時期に、苦しみをたえしのばなければならなかった。ナチズムのもっとも悲惨な面は、約600万人のヨーロッパ・ユダヤ人の組織的殺害であった。 戦後の西ドイツでは、小さなネオ・ナチ運動がつづいた。ネオナチズムは、1990年の東西ドイツ統一後も、いくらかの人気を博している。この運動は、主として不満をもった若者たちによってになわれ、彼らは、ユダヤ人、黒人、同性愛者、その他社会内少数派を暴力的攻撃の対象としている。
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