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1095~1270年に、西ヨーロッパのキリスト教徒が聖地エルサレムと他のパレスティナの巡礼地をイスラム支配からとりもどすためにおこなった軍事遠征。十字軍という名称は、参加者たちが肩や胸に十字章をつけたことに由来する。また13世紀にはキリスト教の異端に対する軍事行動や教皇の政敵に対する戦争も十字軍とよばれた。
十字軍が組織された直接的な原因は、11世紀中ごろにイスラム教のセルジューク朝トルコが中東へ進出したことにあり、彼らがシリアやパレスティナを征服したことは、西ヨーロッパのキリスト教徒に大きな衝撃をあたえた。トルコ人はまたビザンティン帝国にも侵入し、ギリシャやシリア、アルメニアで多くのキリスト教徒を支配下においた。十字軍遠征とは、ひとつにはこうした事態に対する反動だった。同時に、政治的・宗教的権力をのばそうとする教皇の野心のあらわれでもあった。 また何よりも、ヨーロッパで人口が増大し、商業活動が劇的に発展した時代にあって、十字軍遠征は所領を渇望する騎士や貴族の野心にはけ口をあたえ、成長しつつある都市、とりわけジェノバ、ピサ、ベネツィアといったイタリア諸都市の商人に豊かな商業機会を提供した。十字軍はこうして多くのヨーロッパ人の心をうごかし、ある者は私欲から、またある者は宗教的情熱から十字軍に参加した。十字軍は人々の冒険心をあおり、また彼らの多くは十字軍へ参加することにより宗教的な救済がえられると信じた。
十字軍は、正式には1095年11月27日に、フランスの都市クレルモンフェランの城外ではじまった。この日、教皇ウルバヌス2世は、クレルモン公会議にあつまった聖職者や大勢の民衆にむかって説教をおこない、十字軍への参加をよびかけた。聴衆の間からは熱狂的な反響がわきおこった。教皇はそこで司教区にもどって十字軍への参加をすすめる説教をおこなうよう司教たちに命じた。 彼はまた基本的な戦略を明らかにした。十字軍は1096年8月に出発する。各部隊は費用を自己負担し、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)まで別々にゆき、そこで合流する。そこからビザンティン皇帝とその軍隊とともにアナトリアの征服者セルジューク朝に対して反撃を開始する。この地域がキリスト教徒の支配下にはいったのちは、最終目標であるエルサレムおよびシリア、パレスティナのイスラム教徒とたたかうという計画である。
第1回十字軍は、教皇のえがいた計画にほぼ一致したものとなった。1096年の晩夏、貴族たちの4つの軍団(レーモン・ド・トゥールーズ、ローベル・ド・フランドル、ゴドフロア・ド・ブイヨン、ボヘムンド・ド・タラント)が集結した。他方で十字軍は都市民や農民の間にも予想外の熱狂をひきおこし、貴族の十字軍とならんで民衆の十字軍があらわれた。なかでも隠者ペトルスというピカルディの説教師にひきいられた十字軍が有名である。民衆十字軍に参加した者は大勢いたが、実際に中東まで到達した者は少なく、生きのこってエルサレムで十字軍の勝利をみたものはさらに少なかった。
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