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    エーゲ海キュクラデス諸島出土 ギリシャ美術の源流: グーランドリス・コレクション 1980(昭和55)年8月26日- 1980(昭和55)年10月19日

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    エーゲ文明に源をもち、前1100年ごろから前1世紀ごろまでにギリシャ本土および南イタリア、エーゲ海周辺地域のギリシャの植民地でつくられた美術をさす。ギリシャ美術の特質は、以後の西洋美術に決定的な影響をあたえた。

  • アルカイク・スマイル - Wikipedia

    アルカイク・スマイル (archaic smile) は、 古代ギリシア の アルカイク彫刻 の口もとに見られる 微笑 に似た表情をいう。 アーケイック・スマイル 、 アルカイックスマイル 、 古式微笑 などともいう。初期の彫刻ではあまり目立たないが、 紀元前6世紀 中頃から ...

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ギリシャ美術

ギリシャ美術 ギリシャびじゅつ
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

エーゲ文明に源をもち、前1100年ごろから前1世紀ごろまでにギリシャ本土および南イタリア、エーゲ海周辺地域のギリシャの植民地でつくられた美術をさす。ギリシャ美術の特質は、以後の西洋美術に決定的な影響をあたえた。

ギリシャ美術はとりわけ人間や動植物など生命体を対象として、その形態の均衡や動き、感情表現などに特色がみられる。人間の姿をした神像が重要主題であり、怪物や動植物は副次的で、おおむね神話、文学、日常生活から題材がとられている。建築や彫刻の大作は完全な形で現存するものは少なく、本格的な絵画はまったく残存していない。しかし陶器類やコイン類、宝飾品類は豊富にのこされており、エトルリアの墳墓にえがかれた壁画などからも、ギリシャ美術の特色をある程度までは推測できる。また、古代ローマの博物学者・旅行家、大プリニウスや古代ギリシャの地理学者・旅行家パウサニアスの記述によって、画家・彫刻家やうしなわれてしまった作品についての情報が得られる。

前320年ごろまでの建築、絵画、大彫刻は、公的な役割をはたすためにつくられ、宗教的な用途をもつものや、競技優勝者の像などの重要な出来事を記念する作品が大半を占める。すぐれた美術作品が私的につかわれたのは墳墓装飾にかぎられている。ただし装飾美術品についていえば、一般の人もテラコッタの上等の容器をたくさん所有していたし、金持ちはブロンズの容器や鏡さえもっていた。テラコッタやブロンズ製品は小さな人物像や浮彫でかざられていた。

ギリシャの建築の多くは大理石と石灰石でつくられ、屋根には木材とタイルがつかわれた。彫刻の素材は大理石、石灰石、粘土、ブロンズなどであった。神殿への奉納像はうちのばしたブロンズ板でつくったり、木の芯を金や象牙でおおってつくった。頭部とさしのばした腕は、ときには別個につくってから胴体にはめこんだ。石や粘土の彫像は、全体または一部に明るい色がぬられた。画家は壁画や容器の装飾に水溶性の絵具をもちいた。

ギリシャ美術の通例の時代区分は、様式の変化によってなされる。便宜上ここでは以下のように時代区分をする。(1)幾何学様式時代(前1100頃~前650頃)、(2)アルカイク時代(前660頃~前475頃)、(3)クラシック(古典)時代(前475頃~前323頃)、(4)ヘレニズム時代(前323頃~前31頃)である。

II

幾何学様式時代

この時代のもっとも重要な現存作品は陶器である。これらには雷文などの角ばった幾何学的な縞(しま)模様がみられるために、幾何学様式時代とよばれる。初期のものでは、直線モティーフがミュケナイの曲線様式とむすびつけられている。前750年ごろからは、兵士の遺体を安置する場面や馬車などの細身の抽象化された人間や動物の姿が登場する。アテネのディピュロンの門の近くの墓地から出土したみごとな「ディピュロンのアンフォラ」は、供物をいれたりもする大きな墓標であった。

前7世紀ごろになると、東地中海のギリシャ植民地の増加とフェニキア人や東方諸国との貿易を反映して、陶器の装飾様式に変化があらわれた。「東方化様式」とよばれるこの時代の陶器には、これまでの抽象的な幾何学文様にかわって、蓮(はす)や棕櫚(しゅろ)、ライオンやスフィンクスなどの東方のモティーフが丸みをもった写実的なフォルムでえがかれ、装飾は豊かになり、複雑さをました。

この時代のブロンズや粘土の彫刻は、小さなブロンズ製のアポロン像などのわずかな作例しか発見されていない。作者の主観的な想像のみにたよったこの時代の人物像は、客観的な写実表現にはいたっていない。

この時代の建築は煉瓦(れんが)や粗石をつかった単純な構造であった。最初期の家屋は円形の小屋で、次いで楕円(だえん)形に、やがて馬蹄形に発展した。その後は、東西に細長い長方形となって、一方の端に円柱をもつ玄関がつき、土の陸(ろく)屋根か藁(わら)ぶき屋根であった。

神殿の基本プラン(平面図)も家屋とほぼ同じであった。幾何学様式時代末期の神殿の土台が、サモス、スパルタ、オリュンピア、クレタで発見されている。それよりややのちのエレトリアやテルモンの神殿の土台は馬蹄形プランであった。長方形の神殿の場合は、正面のをこえてはりだした両側の壁面が玄関となっている。

III

アルカイク時代

この時代を通じて、ギリシャ社会は地理的にも経済的にも拡大し、増大した富と外国との接触が公用建築と記念彫刻の発達をうながした。ギリシャで豊富に産出された大理石と石灰石で建築も彫刻もつくられた。神殿には神像が安置され、彫刻や絵画で装飾された。重要な輸出品であった陶器にもはなやかな絵模様がほどこされた。

1

彫刻

エジプトとメソポタミアの壮大な石造彫刻の影響をうけて、ギリシャでも石造彫刻がつくられはじめた。この時代のギリシャの彫像は、かたくるしいポーズと正面観といった東方の彫像の特徴をうけついでいる。しかし、「オーセールの婦人像」や「ヘラ像」(どちらも前660~前580)などのフォルムはエジプト彫刻よりも動的である。前575年をすぎたころから、男性像と女性像のいずれにも共通して、いわゆるアルカイク・スマイルが表現されるようになる。その人物や状況にはかならずしもふさわしくないのに、このアルカイク・スマイルをもちいている理由は、人物像にいきいきとした人間的感情をあたえようとする工夫だったとみてよい。

流行した人物像の3つのタイプは、青年裸体立像(クーロス)、少女着衣立像(コレー)、女性座像である。これらはすべて人体の基本的な特徴を強調し普遍化しており、人体解剖の理解も正確になっている。青年像は埋葬用か奉納用につくられたもので、ニューヨークのメトロポリタン美術館の「アポロン像」は初期の作例であり、リムノス出土の「ストラングフォードのアポロン」は後期の作例である。これよりのちの「アナビュソスのクーロス」は、骨格や筋肉の表現がいちだんと顕著になっている。アテネのアクロポリス美術館蔵の少女着衣立像はさまざまな表情をうかべている。その着衣は、この時代の彫刻細部に共通する繊細さと入念さをもってほられ、彩色されている。

丸彫り彫刻よりもややおくれて発達した浮彫彫刻では、人物の動きがとらえられている。中期アルカイク時代(前580頃~前535頃)の注目すべき作品はトロイア戦争をえがいたフリーズで、これはデルフォイのアポロンの聖域の「シフノス人の宝庫」から出土した。もうひとつの注目すべき作品は、アテネのアクロポリスの丘の旧アテナ神殿から出土した破風(はふ)の断片「神々と巨人の戦い」である。後期アルカイク時代(前535頃~前475頃)の作品としては、エイーナ島にあるアファイア神殿の破風の彫刻群がある。こうしたアルカイク彫刻の芸術的価値をみいだしたのは、19世紀末の美術史家たちである。アルカイク時代にはあいかわらずブロンズ製の小像もつくられつづけた。

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