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  • コルシカ島ガイド NPO法人日本コルシカ協会ホームページ

    SNCM,CNMスト解除。 10月17日よりコルシカ島とフランス本土を連絡するフェリーが再開されます。

  • コルシカ島 - Wikipedia

    コルシカ島 / コルス島 (伊 Corsica 、コルシカとう、 仏 Corse 、コルスとう) は、 地中海 西部、 イタリア半島 の西に位置する フランス領 の 島 である。面積は約8,680 km² (日本の 広島県 と同程度)と、地中海では シチリア島 、 サルデーニャ島 、 キプロス島 ...

  • コルシカ島の地図

    地図上の1cmは8kmに相当する。

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コルシカ島

コルシカ島 コルシカとう Corsica
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

地中海のほぼ中央部、イタリアの西方海上にうかぶフランス領の島。フランス語ではコルス島。ボニファシオ海峡によって、南のイタリア領サルデーニャ島とへだてられている。行政的にはコルス地域圏(レジオン)をなし、主都はアジャクシオ。オートコルス県(県都バスティア)とコルスデュシュド県(県都アジャクシオ)の2県にわかれ、サルテーヌ、コルテ、カルビ、ボニファシオ、サンフロラン、ポルトベッキオなどの町がある。のちのフランス第1帝政の皇帝ナポレオン1世は、1769年8月15日、アジャクシオで生まれた。面積は8680km²。

地形は山がちで、中央を2000m級の山脈がはしり、その最高峰はチント山(標高2710m)である。海岸はほとんど岩だらけで、西側の海岸線は出入りにとむ。東側ではアレリア平野など小さな海岸平野が広がっているところがあり、ラグーン(潟湖)や湿地もみられる。山地からの流れは急流が多く、比較的大きな川にゴロ川とタビニャノ川がある。

II

経済

規模は小さいが、ブドウ、コムギ、オリーブ、野菜、柑橘類の栽培がおこなわれている。ヤギ、ヒツジの飼育、チーズづくりも昔ながらにおこなわれている。このほか、漁業、ワイン製造、アンチモン・アスベストの採鉱、花崗岩大理石の採石なども島の産業にかぞえられる。いずれも生産性が低く、そのため島の経済に観光のはたす役割は大きい。

フランスの一部となっているものの、地理的に近いイタリアとの結び付きが強い。シチリア島やイタリアの一部にみられるように、家族関係、血縁関係が重んじられ、その共同体の名誉をきずつけられたりした場合、ベンデッタという血をともなう復讐劇(ふくしゅうげき)が演じられることで知られる。マフィア

III

歴史

前550年ごろ、この島にはイオニア人の集落があった。第1次ポエニ戦争中の前259年、ローマ軍に征服され、その軍事基地となった。後476年の西ローマ帝国の崩壊後、バンダル族に支配された。その後、ビザンティン帝国ランゴバルド王国の一部となり、850~1034年にはイスラム教徒のムーア人に占領された。

11世紀に教皇庁の支配するところとなり、1077年、教皇グレゴリウス7世ピサから行政官を派遣した。ピサの商業・政治上のライバルだったジェノバは教皇インノケンティウス2世にせまり、1132年、コルシカに対する支配権をピサとジェノバの間で分割させた。1312年にはジェノバが支配権をえた。1458~1558年のフランス軍支配の時期をのぞいて、ジェノバが18世紀まで支配した。

18世紀に入ると、ジェノバに対する反乱が次々におこった。コルシカの愛国者パスカル・パオリも登場した。イギリスとフランスはこの混乱に介入し、ついに1768年、ジェノバはフランスにコルシカ島を割譲した。フランス革命ナポレオン戦争の間は、2度にわたってイギリス領となった。

第2次世界大戦中はドイツ・イタリア軍によって占領されたが、1943年末に解放された。58年にアルジェリアでのフランス系植民者(コロン)の暴動を支持する右翼の反乱分子によって、島は占拠された。その解決のためド・ゴールが首相として、ついでフランス大統領として政権に復帰した。コルシカの自治をもとめる運動は70年代に入ってから活発化し、これに対してフランス政府は82年に50名の議員からなるコルシカ地域議会の創設をみとめた。

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