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  • ポエニ戦争 - Wikipedia

    ポエニ戦争 (ポエニせんそう, Punic Wars)は、 共和政ローマ と カルタゴ との間で、地中海世界の覇権を賭けて争われた一連の戦争である。ポエニとは、 ラテン語 で フェニキア人 (カルタゴはフェニキア人の建てた国)を意味する言葉。 紀元前264年 のローマ ...

  • ポエニ戦争

    イタリア半島を統一したローマ共和国と地中海の覇者カルタゴがシチリアをめぐって衝突 第一次ポエニ戦争後

  • 第二次ポエニ戦争 - Wikipedia

    第二次ポエニ戦争 (だいにじポエニせんそう、羅: Secundum Bellum Punicum 、英: Second Punic War )とは、 共和政ローマ と カルタゴ との間で 紀元前219年 から 紀元前201年 にかけて戦われた 戦争 。ローマ、カルタゴ間の戦争はカルタゴの住民である フェニキア人 の ...

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ポエニ戦争

ポエニ戦争 ポエニせんそう Punic Wars
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

前3世紀~前2世紀の100年余にわたり、ローマとカルタゴが3度にわたってたたかった戦争。ポエニとは、ローマ人がフェニキア人をさしてよんだ言葉。

前9世紀ごろ、フェニキア人は、北アフリカのチュニジア海岸、現在のチュニス近郊に植民市カルタゴを建設した。カルタゴは、地中海沿岸部に点在する他のフェニキア系植民市をしたがえて、地中海の商業貿易を支配していた。ポエニ戦争は、イタリア半島全域をほぼ支配下においたローマと、地中海貿易のいっそうの独占をねらうカルタゴとの、覇権をかけた戦争だった。

II

第1次ポエニ戦争(前264~前241)

戦いは、シチリア島のギリシャ人植民市メッサナ(メッシーナ)の内紛をきっかけにはじまった。メッサナを守備していたイタリア、カンパーニア出身のマメルティニと称する傭兵隊が、シラクーザのヒエロン2世の軍に包囲され、ローマとカルタゴの両方に援軍をもとめた。カルタゴ軍が先に援軍をおくり、メッサナ市を制圧したが、シチリア島がカルタゴの支配下にはいるのを阻止するため、ローマはカルタゴ軍を攻撃し、戦争に突入した。このときはじめてローマは本格的な海軍を建設し、前260年にミュラエ(現ミラッツォ)沖でカルタゴ艦隊をうちやぶったが、シチリアを獲得するにはいたらなかった。

ついで前256年、将軍レグルスひきいるローマ軍は北アフリカに基地をもうけたが、翌年、カルタゴ軍によって撤退させられた。以後、戦いはシチリアを戦場として13年間つづいたが、前241年のアエガテス諸島沖の戦でローマ海軍は大勝利をおさめ、カルタゴは降伏した。ローマはシチリア島を割譲させ、前238年にはカルタゴ領だったサルデーニャ島コルシカ島も手にいれた。

III

第2次ポエニ戦争(前218~前201)

第2次ポエニ戦争は、ハンニバル戦争ともよばれ、一時はローマを存亡の危機におとしいれただけでなく、ローマ社会に大きな変化をもたらした。

第1次ポエニ戦争で活躍したカルタゴの名将ハミルカル・バルカスは、シチリア島をうしなったかわりに、スペインにカルタゴの勢力圏をきずくことに力をそそいだ。その息子ハンニバルは、前221年にカルタゴ軍の最高司令官となり、前218年には、ローマと同盟関係にあったスペインの都市サグントゥムを占領した。この事件をきっかけに、第2次ポエニ戦争が勃発(ぼっぱつ)した。

前218年春、大軍をひきいたハンニバルは、6カ月をかけてスペインからピレネー、アルプスをこえて北イタリアに入り、戦闘態勢のととのっていなかったローマ軍に奇襲をかけた。けわしい山々を踏破し、北イタリアで圧倒的な優位にたったハンニバル軍は、前216年までにトラシメヌス湖畔の戦とカンネーの戦に大勝利をおさめ、イタリア南部に進軍した。しかしローマの同盟市の抵抗にあい、また武器・食糧の補給がままならず、戦線は膠着(こうちゃく)した。前207年、ハンニバルの弟ハスドルバルが軍をひきいてスペインをたち、アルプスをこえてハンニバルに合流しようとしたが、北イタリアのメタウルス川岸の戦でやぶれ、戦死した。

いっぽう、若くしてスペイン遠征の総司令官となったローマの将軍スキピオ(大)は、前209年にスペインのカルタゴ軍を徹底的にやぶり、前204年には北アフリカに進軍した。カルタゴはハンニバルを呼びもどしてアフリカを守らせたが、ハンニバルは、前202年、カルタゴ内陸部ザマの戦でスキピオに決定的な敗北をきっした。この敗北でカルタゴは大国としての力をうしない、第2次ポエニ戦争は終結した。カルタゴはローマに、スペインと地中海で有していた島々をすべてゆずり、艦船をひきわたし、巨額な賠償金を課せられた。

IV

第3次ポエニ戦争(前149~前146)

第2次ポエニ戦争の敗北にもかかわらず、カルタゴは、商業の繁栄を回復し、小国ながらローマのいらだちのもととなっていった。監察官のカトー(大)は、元老院での演説のたびに「カルタゴをほろぼさなければならない」とあおりたてた。ささいな条約違反を口実に、第3次ポエニ戦争が開始され、スキピオ(大)の長男の養子スキピオ(小)は、カルタゴを破壊しつくし、生存者を奴隷として売りはらった。こうして、ローマは、地中海の覇者となった。

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