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  • ベネツィア

    ベローナからヴェネツィアに着いたのは 午後7時頃。この時期のイタリアは 日没が午後9時過ぎなので、まだまだ明るい♪

  • イタリア ベネツィア

    なかなかたどりつけない町がある。ベネツィアもその一つで、留学していた時何度も行くことになっていたのに途中の町で長滞在して、かなわなかった。それが一度出かけることが出来ると、一年に二度行くことさえあった。まずは大運河の中心にかかる ...

  • ベネツィアにて

    平成8年、開院して6年目にGWは10連休にして、はじめての海外旅行としゃれこんだ。 望み通り、フィレンツェ・ベネツィア、ミラノを廻るコースに行くことができた。

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ベネツィア

ベネツィア Venezia
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

イタリア北東部にあるベネト州ベネツィア県の県都。英語ではベニスVenice。アドリア海の北端に位置する港湾都市。ポー川ピアベ川の河口の間の潟(ラグーナ)の上につくられ、120の島からなる「水の都」として知られる。海軍力と商業都市としての歴史的役割から、ベネツィアは「アドリア海の女王」とたたえられてきた。人口は26万8934人(2007年推計)。

鉄道路線と土手をはしる車道が島々と本土をむすび、ラグーナの外側の長い砂州や海岸の防波堤がこの町を海からまもっている。177の運河が島々をわけ、運河には400におよぶ橋がかかる。大運河(カナル・グランデ)は全長約3kmで、ベネツィアの北西から南東へ、市街を2つにわけながら湾曲してながれる。また市街地と南端のジュデッカ島の間には幅約400mのジュデッカ運河がある。

古い町をぬける、狭くてまがりくねった路地や通りに自動車ははいれず、橋も歩行者専用である。何世紀もの間市内の輸送をになったのは、1本の櫂(かい)でこぐ平底のゴンドラだった。今は水上バスやフェリーボートが市民や貨物をはこんでいるが、ゴンドラも観光に利用されている。

現代のベネツィアは、他地域への人口流出、水害や地盤沈下、大気や水の汚染、施設の老朽化など多くの問題に直面している。1966年の大水害の後、歴史的な町をまもるための国際的な運動がユネスコの主唱で組織された。水害はベネツィアの歴史の中でくりかえされてきたが、原因となる高潮と台風から町をまもるために水門の設置などさまざまな試みがなされてきている。また、建造物の沈下は、地下の耐水層の流出が原因とされるため、地下水使用の制限やアルプスからの水道の導入などで対処している。

II

経済

ベネツィアは観光の町で、建築物や運河の美しさ、数多くの芸術や文化的な催しがこの町をささえている。世界の現代美術の作家が出品するベネツィア・ビエンナーレ(偶数年に開催)や、世界三大映画祭のひとつベネツィア国際映画祭(映画祭)をはじめ、各種のイベントが観光客をよび、ガラス製品、鏡、ガラスビーズなど華麗なガラス工芸は有名である。ガラス工場のほとんどはムラノ島にある。また、ブラノ島でつくられているベネツィアンレースもよく知られる。本土にあるメストレやマルゲーラには、造船、製鋼、鋳物、化学など多くの工場がある。第2次世界大戦以降、多くの住民が仕事と住宅をもとめて本土地域に移住したため旧市街の人口は減少している。

III

見どころ

ベネツィアは世界でもっともうつくしい町のひとつといわれている。ビザンティン様式からルネサンス様式をしめす建築物や装飾は、芸術的に高い評価をうけている。

市街で、もっともにぎやかな場所はサン・マルコ広場である。広場の東側にはベネツィアでもっとも重要で堂々とした建築であるサン・マルコ大聖堂とパラッツォ・ドゥカーレがたっている。大聖堂の建設は828年ごろにはじまり、976年の火災ののちに改築され、さらに11世紀に再建された。大聖堂の外観はビザンティン建築の代表作とみなされており、堂内は数多くのモザイク画でかざられている。パラッツォ・ドゥカーレは814年ごろに着工されたが、火災で何度も焼失し、そのたびにより壮大な規模で再建された。初期ルネサンス様式をあわせもつイタリア・ゴシック建築の傑作である。広場の北側は1496年にたてられた旧行政館、南側は1584年にたてられた新行政館がある。どちらの建物もイタリア・ルネサンス様式で、ベネツィア共和国の時代に9人の長官や行政官の公邸だった。行政の長である総督は彼らの中からえらばれた。

この2つの行政館には、カフェや店舗がならぶアーケードがつづいている。パラッツォ・ドゥカーレのそばには、1180年にたてられた2つの有名な花崗(かこう)岩の円柱がある。1つにはベネツィアの守護聖人、聖マルコの象徴である翼のあるライオンがのり、もう1つにはワニの上にたつ聖テオドロスの彫像がのっている。またよくめだつのが高さ約90mの鐘塔で、874~1150年に建設され、1902年に倒壊したが、その後再建された。

パラッツォ・ドゥカーレの後方に有名な「ため息橋」がある。これはパラッツォ・ドゥカーレと牢獄とをつなぐ橋で、囚人が裁判への行き帰りにとおった橋である。大運河にかかる3つの橋の中ではリアルト橋が有名である。1588年に建設され、橋の上の両側には店舗がならんでいる。ベネツィアの大動脈である大運河にそってベネツィア貴族の古い邸宅がたちならび、その多くが歴史的にも芸術的にも価値の高い建造物である。

ラグーナに近い北側にサン・ジョバンニ・エ・パオロ教会がある。ドームと円柱のある15世紀のイタリア・ゴシック様式の教会で、かつては総督の葬儀がおこなわれていた。この教会の近くに、ベネツィアで最大の彫像である将軍バルトロメオ・コレオーニ騎馬記念像がある。これは15世紀のフィレンツェの芸術家ベロッキオの作品である。同じ地区にかつての造船所アルセナーレと公園がある。東側には島々が点在し、とくにリド島のラグーナの外側にある海岸は海水浴場や保養地として有名である。このほかにも大きな美術館、大運河に面するゴシック様式の邸宅カ・ドーロ(黄金の家)などの建物、歴史的な教会などが市内の至る所にある。

リブレリア・ベッキア(図書館)には1万3000冊もの手写本や80万冊をこえる書物が所蔵され、貴重なものもふくまれている。ベネツィア大学は1868年に創設された。

IV

美術

ベネツィアでは商業都市としての繁栄と歩みをともにするように、15世紀からベネツィア派絵画が興隆した。ベリーニ父子(ヤコポ・ベリーニジェンティーレ・ベリーニジョバンニ・ベリーニ)、カルパッチョジョルジョーネティツィアーノティントレットベロネーゼらが続々と登場して、その豊かな色彩と華麗な表現は次の16世紀にかけてベネツィアをフィレンツェローマと伍するイタリア・ルネサンスの中心地とした。現在でもアカデミア美術館や市内の各聖堂はベネツィア派の最大のコレクションであり、サン・ロッコ同信会館はティントレットの大作群でかざられている。なお、18世紀にもこの画派はふたたび盛り上がりをみせ、グアルディカナレットらベネツィアの往時をしのばせる風景画家やティエポロなどの大家を生んでいる。

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