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クー・クラックス・クラン

クー・クラックス・クラン Ku Klux Klan
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

アメリカのテロリストの秘密組織。KKK(ケーケーケー)と略称される。南北戦争(1861~65)後の南部再建時代に南部諸州で組織され、20世紀に活動範囲をひろげて復活した。最初のクランは、1865年末、テネシー州で6人の元南軍将校によって結成され、ギリシャ語のkuklos(輪)とケルト語のclan(子孫)にちなんで命名された。クー・クラックス・クランははじめ、それほど過激なものではなかったが、やがて南北戦争以前の旧指導者にとってかわった南部共和党の再建政府とその指導者に対して敵対するようになり、67年には南部諸州で勢力をひろげた。

II

当初の攻撃目標と戦術

クランの会員は、解放黒人が市民となり、政治権力をもつことに不信感と恨みをいだき、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、アーカンソー州で再建政府への破壊活動をおこなった。ローブやシーツをまとい、先のとがった頭巾をかぶって政府の職員を脅迫し、彼らをオフィスからおいだそうとした。また、黒人であればだれでも脅迫し、黒人が新たに獲得した投票や公職につく権利をさまたげた。脅迫は、相手の家の近くなどで十字架をもやすのが通常の手段だった。それが通じない場合、相手を鞭(むち)でうったり、手足を切断したり、殺害した。クランは、このような行動を白人の主権と白人女性をまもるためと正当化した。

1868~70年には、南北戦争後に南部を占領していた連邦軍が撤退しはじめ、南部では共和党急進派主導の民主化体制が各州で次々に民主党体制にかわっていった。クランはますます暴力的になった。71年、連邦議会は黒人の公民権を保障した合衆国憲法修正第14条(1868)を履行させるため強制法を可決、この年、グラント大統領は、非合法組織のメンバーに武装解除と解散を命じる声明を発表、そのあとでクランの数百人の会員を逮捕した。こうしてクランは形のうえでは徐々に消滅していった。

III

みえざる帝国、クー・クラックス・クラン騎士団

1915年、クランの名称と儀式、方針が、ふたたびジョージア州で復活した。元伝道師シモンズ大佐が組織した、「みえざる帝国、クー・クラックス・クラン騎士団」である。アメリカ生まれの白人男性で16歳以上のプロテスタントならだれでも入団できたが、黒人、カトリック教徒、ユダヤ人は除外され、しだいにクランによる中傷、迫害の対象になった。第1次世界大戦(1914~18)につづく経済混乱と社会不安の中で都市部で急速に成長し、多くの州で勢力を拡大した。

クランは白人の優越性を熱心に説いたが、彼らが攻撃したのは黒人ばかりでなく外国からやってきた異端者たち、とりわけカトリック系移民を、伝統的なアメリカの習慣と価値観をおびやかすものと排撃した。ユダヤ人、東洋人、リベラリスト、労働組合員を攻撃し、ストライキ中の労働者は、破壊分子として糾弾され、進化論社会主義共産主義も攻撃対象となった。

クランは、かつてのクランと同様に十字架をもやして相手を脅迫した。覆面姿の会員はプラカードをかかげて行進し、さまざまな人間を軽い刑罰でおどしたり、町からでていくように警告した。多数の人間が誘拐され、傷つけられ、殺害されたが、会員が起訴されることはほとんどなく、自治体によっては役人が彼らを扇動していた。

1921年以降、クランは急速に会員をふやし、全国で政治的な影響力をもつようになった。24年の推計で、会員は300万人にのぼり、この年に民主党の全国大会でクランを糾弾する決議案が提出されたが、たちまちはげしい論争がおこり、廃案となっている。

1920年代半ば、内部抗争や暴力沙汰などで会員は激減し、1929年から30年代の大恐慌の間は組織は小規模になり、南部の労働組合に対抗するなど反共、反ニューディール活動をつづけた。40年、 ナチス・ドイツの資金援助をうけているアメリカ親独協会と協力、ニュージャージー州で大規模な集会を開催した。アメリカが第2次世界大戦に参戦したあと、活動は下火になり、戦後は支持をうしない、有力指導者の死去もあって一時消滅した。

IV

最近の活動

1954年、合衆国最高裁判所が、公立学校での人種分離を違憲としたのをきっかけに、クランは新たに会員をつのって暴力にうったえようとした。しかし南部では組織をまとめることができず、その勢力を大幅に回復させることはできなかった。

公民権運動が盛んになった1950年代の後半以降もクランは人種間の暴力沙汰や爆弾テロなど多くの事件をおこしている。そして64年に公民権法が制定されるとクランの会員は急増し、65年には推定で4万人に達した。

1970年代も社会的な活動を継続し、クランの指導者の中には、南部の自治体選挙に立候補してかなりの票を獲得した者もいる。当時、クー・クラックス・クラン騎士団、ユナイテド・クランズ・オブ・アメリカなど、およそ15の組織があった。クランの元最高指導者デュークは、89年、ルイジアナ州の下院議員に選出されたが、91年の州知事選では落選した。80年代末の会員総数は推計5000人である。

テロリズム秘密結社

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