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都市計画

都市計画 としけいかく City Planning
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

都市計画とは、都市という生活空間をよりよいものとするための公共的な制御の手段である。

II

都市計画の意義

一般に、都市とよばれる地域にはさまざまな人々がくらし、政治や経済、文化や学問など、きわめて多彩な活動が日々くりひろげられている。そして、このような活動が活発になればなるほど、さらに多くの人々が都市にあつまってくる。その結果として、都市はおのずから地理的にも少しずつ大きく成長していき、こうした集積と自己増殖が都市の魅力をさらにましていくことになる。

しかし、このような都市の自然の自己増殖を放任したとすれば、どのような結果が生まれるだろうか。人々がそれぞれ自分勝手に好きなように建物をたて、道をつくり、自由に土地や空間を利用したとすれば、その結果は無秩序と混乱でしかない。とくに資本主義の発展にともなって経済活動が活発になると、それを放任した場合の混乱と居住環境の悪化はきわめて深刻なものとなる可能性がある。また、各自が所かまわず勝手にゴミをすて、屎尿(しにょう)を処分したとすれば、他者の健康や生命はもちろんのこと、自分自身の健康や生命をも危険にさらすこととなる。自然環境も破壊されるであろう。また、一部の人々がくらす地域だけが快適な環境を保障され、それ以外の地域は荒廃したままに放置されるという事態も予想される。

都市計画は、このような無秩序を回避し、人間の生存そのものをおびやかすような要因を事前にとりのぞき、社会的な公正を確保するための手法として発展してきたものである。さまざまな人々が共有する生活空間を、人間の生活にふさわしいものとなるよう、個々の利害にとらわれることなく公共的にととのえることが都市計画の目的である。住居地域、商業地域、工業地域など、どのような利用の仕方が適当かを考慮した土地利用、建物の大きさや高さに対する一般的な規制、道路や橋、公共性の高い都市施設の計画的な整備と配置、緑地空間の確保、開発の許可制度、市街地の開発事業など、これらはいずれも都市計画の具体的な方法として定着してきたものである。

III

都市計画の歴史

ヨーロッパでもアジアでも都市を計画的に建設するという試みは古くからなされている。古代ギリシャ、ローマ時代の都市(ポリス:都市国家)における神殿や広場、また円形劇場や上下水道の建設は、共同社会としての都市の機能を考慮した最初の都市づくりの一例である。また、中世都市における外敵からまもるための城壁や、城壁内部での市庁舎や教会、広場を中心にした街づくりなどは、初期の都市計画の試みといえる。建築物への規制も、すでに中世の時代からはじまっている。

さらにルネサンス時代から近代へと時代がかわるのにともなって、さまざまな理想都市の建設がこころみられた。たとえば、ロンドンを壊滅させた1666年の大火ののち、クリストファー・レンがこころみた改造計画は、土地利用の決定における都市の自治やコミュニティ(地域共同体)の意思を重視したものとして注目される。これを契機としてレンガや石が多用され、都市の不燃化も大きくすすんだ。

現代の都市計画の基礎が生まれたのは、19世紀後半以降のことである。その背景には産業革命や資本主義の発展がうながした急激な都市化現象がある。都市に人口が集中するいっぽうで、住宅の老朽化、せまい街路、下水道の不備、なおざりにされた屎尿(しにょう)処理、都市全体の不衛生、伝染病の発生、治安の悪化など、さまざまな都市問題が深刻になっていった。ヨーロッパの主要な都市はいずれも同様の状況におかれていた。

こうした都市問題を打開するために、スラム・クリアランス(スラム化した地区の改良)、公衆衛生の徹底、建築物に対する一般的な規制の強化、街路の拡幅、公園の整備、下水道の建設、公的住宅の供給などがはじまるのである。とくに土地利用に対する公共的なコントロールが強化されていく点が注目される。なかでも19世紀後半のパリは、実際に大規模な都市改造が実施されたことで知られている。現代の都市計画の多様な手法の原点は、これらの実験的な試みの中にあるといってよい。

IV

日本の都市計画

日本の都市計画も長い歴史をもっている。8世紀に造営された平城京平安京は、中国の代の長安城をまねたものだが、計画的に建設された都市としてもっともはやい時期の一例である。ここでは近代以降の都市計画の流れをみておこう。

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