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  • アッシリア美術 - Wikipedia

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    有史以前から前6世紀にかけて、ティグリス、ユーフラテス両川にはさまれた地域現在のイラクで発展した古代オリエントの美術。メソポタミアの低地の土壌は肥沃ひよくであったが、ここにすむ人々は、異民族の侵入の危険、気温の極端な変化、日照りやはげ ...

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メソポタミア美術

メソポタミア美術 メソポタミアびじゅつ
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グデア王の像グデア王の像
項目構成
I

プロローグ

有史以前から前6世紀にかけて、ティグリス、ユーフラテス両川にはさまれた地域(現在のイラク)で発展した古代オリエントの美術。メソポタミアの低地の土壌は肥沃(ひよく)であったが、ここにすむ人々は、異民族の侵入の危険、気温の極端な変化、日照りやはげしい雷雨、洪水、野獣の来襲などにたえず直面していた。このような自然の力や征服者などに対する愛と恐怖の感情は、その美術にも反映している。平地に点在する都市は、商業と宗教の両方をつかさどる寺院によって統治されていたが、しだいに宮殿がより重要な建築物として寺院にとってかわった。

この文明のおもだった建築資材は、メソポタミアの土壌からえられる粘土をやいてつくった煉瓦(れんが)であった。この粘土から、陶器、テラコッタ彫刻、書き物用テーブルもつくられた。木工品はほとんどのこっていない。石製の工芸品がほとんどないのは、石材は輸入にたよらざるをえなかったからだと思われる。彫刻には玄武岩、砂岩、閃緑(せんりょく)岩、アラバスターがつかわれ、手のこんだ彫刻や象嵌細工には、青銅、銅、金、銀などの金属や、貝や貴石がつかわれている。ラピスラズリ、碧玉(へきぎょく)、紅玉髄、アラバスター、ヘマタイト、蛇紋石、石鹸石などは円筒印章につかわれた。

メソポタミア美術には4000年の伝統があり、表面的にみるかぎりはそれらの様式や図像はすべて共通している。しかし実際には、それらは人種も言語もことなるさまざまな異民族によってつくられ、うけつがれていったものである。

前6世紀にペルシャ人がこの土地を征服するまで、それぞれの民族は、メソポタミア美術にそれぞれ独自の寄与をしてきた。最初に非セム語族のシュメール人がこの地域を統治し、美術を形成した。そのあとにセム語族のアッカド人、バビロニア人、アッシリア人がつづいた。この統治と美術的影響は、ときにはシリア・パレスティナ沿岸にまでおよび、逆に周辺地域からも、その技術とモティーフがメソポタミアの諸都市に影響をあたえた。異民族が侵入してきたときにも、原始メソポタミアの美術は古来の伝統の中ではぐくまれていった。

II

有史以前

これまでに知られている最古の美術遺品は、北部メソポタミアのシンジャール山麓(さんろく)にある、新石器時代初期のケルメデーレ遺跡から出土している。前9千年紀の地層からは、埋没したまるい小屋の跡が、石に漆喰(しっくい)をぬりかためてつくった柱とともにでてきている。新石器時代と青銅器時代への移行期(前7000?~前3500?)のメソポタミア美術は、考古学上の遺跡として名高い。北部地方のハッスナでは、民家と彩色をほどこした土器が発掘された。サーマッラーでは、宗教的意味をもつ図柄のえがかれた土器が、テル・ハラフでは、女性座像と彩色をほどこした土器がみつかっている。

南部では、初期の文化はウバイド文化(前5500?~前4000?)とよばれ、初期から中期にかけてはウルク文化(前4000?~前3500?)とよばれている。ウバイド文化は、暗色の軽い土器に代表される。エリドゥの初期の地層からは、小さな四角い神殿の聖域(前5500?)が発掘された。これには神像の台座のある壁龕(へきがん)と、そのそばに供物台が新たにくわえられていた。聖域の上部には、より複雑な構造の神殿が増築された。神殿の中心には、出入り口をもついくつもの小さな部屋にかこまれた神域がある。外部の装飾は手のこんだ壁龕とメソポタミア神殿の典型的特徴であるバットレス(控え壁)でなされている。ウバイド文化の粘土製人体像には、エリドゥ出土の男性像と、ウル出土の子をかかえる女性像がある。

後期ウルク文化と後続するジャムダット・ナスル文化(前3500~前2900頃)の工芸品は、上記の遺跡のいくつかから出土しているが、代表的な遺跡はウルクである。ウルクの第V層(前3500頃)で発見された主要な建物には「ライムストーン神殿」がある。その上部構造は残存していないが、この地層からみつかった石灰岩の石板の文字を解読すると、それが76 × 30mの記念建造物であったことがわかる。第IV層から出土したいくつかの建物の壁には、カラフルな円錐形の陶製飾りがうちこまれ、幾何学文様をつくりだしている。

ウルクにある「白色神殿」には、石灰塗料もつかわれている。シュメール人の天神アヌをまつる場所にたてられていたこの神殿は、ジッグラトを思わせる高い壇の上に、12m以上の高さでたっていた。階段状の塔であるジッグラトは、メソポタミアの宗教建築の典型であり、神はこの階段をとおって信者たちのもとに降臨するとみなされていた。

ウルクからは数点のすぐれた石像彫刻が出土している。なかでも、石灰石製の女性または女神の頭像(前3500~前3000頃)はうつくしい。大きくひらかれた目やまゆ毛、頭の中央の髪の毛などはすべて象嵌細工である。背の高いアラバスター製の「ウルクの壺」(前3500~前3000頃)には帯状に3段の低浮彫がほどこされている。その最上段には豊穣と愛の女神イナンナに果物を奉納する王の図が、中段には供物をささげる裸の司祭、最下段にはさまざまな動物や植物がえがかれている。

ウルク文化後期には、円筒印章も数多くつくられた。メソポタミアの印章の標準的な形として、この円筒形が3000年間もうけつがれていった。この小さな円筒印章上には、反復模様や儀式の場面などが克明にえがかれていた。

III

初期王朝時代

シュメール人による統治は前3000年ごろから前2340年ごろまでつづく。前期の建築の伝統がつづく中、この時期に楕円形の新しい型の神殿が生まれる。ウル、ウンマ、ラガシュ、キシュ、エシュヌンナといった都市国家では、神格化されない王や支配者が統治した。その芸術は記念碑的なものが多く、たとえば、飾り板には宴会の場面、戦勝の図、神殿の落成式のようすなどがきざまれている。ラガシュでみつかった「エアンナトゥム王の石灰石の記念柱」のように、境界石としてつかわれていたものもある。「ウルのスタンダード」(前2700頃)では、貝、片岩、ラピスラズリなどをはめこんだ木製の飾り板に、3段の帯状に宗教的な情景がきざまれている。

円筒印章や金属彫像の主題には、神話からとられたものが多い。ウバイドの神殿(前2340?)の大きな銅の浮彫には、2匹の雄ジカの上空を大きな羽をひろげてとびまわるライオンの頭をしたタカがほられている。また半人半牛像は、ライオンとたたかう英雄像とならんで一般的なものであった。このころには王冠、短剣、壺、装身具などの優雅な工芸品も出土している。その多くは1926~31年にレナード・ウーリーによって、ウル「王墓」群(前2600頃)から発掘されたものである。1対のヤギの像は、まさしく絶品といえる作品で、前足を金色の木にもたせかけたヤギの頭と足元は、金箔でおおわれている。腹部は銀箔で、毛並みは貝殻で、あごひげ、たてがみ、角はラピスラズリでつくられている。

主としてアラバスターを素材としたシュメールの彫像は、多様な様式をしめし、その幾何学的な形態も表情豊かである。神官や支配者の像や、数例の女性像もみられる。その代表例は、テル・アスマルのアブー神殿から出土した12体の彫像(前2700~前2600頃)である。拳(こぶし)をにぎりしめたこれらの像のみひらいた目は、貝と黒石炭でつくられている。マリ出土のアラバスター製男性座像(前2400頃)は、やや写実味をましている。この時期のマリの建築にはメソポタミア西部の影響がみられる。

IV

アッカド王朝時代

前24世紀後半にはセム語族のアッカド人がしだいに支配力をのばした。アッカドはサルゴン1世の治世下にシュメールを傘下におき、メソポタミア全土を統合した。アッカド美術の現存作品は少ないが、技術的には卓越しており、偉大な力と精神が感じられる。シッパル、アッシュール、エシュヌンナ、テル・ブラクなどの都市やアッカドの首都においては、神殿よりも宮殿が重視された。ニネベ出土の見事な銅製頭像は、おそらくサルゴンの孫ナラムシンであろうが、アッカドの王の高貴さをじゅうぶんにしめしている。ルーブル美術館にある「ナラムシン王の碑」では、神性をあらわす角のついた兜(かぶと)をかぶっている。

アッカドにおける印章技術には、重要な革新がみられた。この時代になると、印章のわずかな空間に英雄や神が野獣ととっくみあったり、化け物を退治したり、二輪戦車の行列を指揮する図などがほりこまれている。この時代に登場した謁見の情景(仲介者である人格神が、その背後にひかえる人物を玉座の高貴な神に紹介している)は、その後の時代にもうけつがれて、発展した。えがかれている神話主題の意味内容に関しては、「ギルガメシュ叙事詩」の物語をのぞき、まだほとんど解明されていない。

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