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エラム語の楔形文字は、3カ国語で書かれたビストゥン碑文の2番目の位置にあらわれている。最初にこの文字の解読をこころみたのは、デンマークの東洋学者ウェステルゴールで、1844年のことであった。エラム語の場合、この言語に関係のある現代語やこれまでに関係が知られている言語がないため、同じ内容のほかの言語で書かれたテキストとの対照が解読に重要な役割をはたす。エラム語の文字は、96の音節文字、16の表意文字、5つの限定詞からなるが、まだ解読されていない文字もいくつかある。
バビロニア語の楔形文字は、フランスの東洋学者オッペール、アイルランドの東洋学者ヒンクス、フランスの考古学者ド・ソールシーとローリンソンの協力によって解読された。バビロニア語が、よく知られたセム系の言語の方言に類似していることが、解読の助けになった。 バビロニア語の楔形文字でしるされた古代の碑文は、バビロン、ニネベなどのユーフラテス川とチグリス川の沿岸地域でも数多く発見されているが、ビストゥン碑文によって解読の手がかりがあたえられた。バビロニアの楔形文字は、印章、円柱、オベリスク、石像、宮殿の壁などにきざまれている。また、この文字をきざんだ粘土板も大量に発見されている。文字はひじょうに小さいものが多く、2.5センチの幅に6行も書かれている場合もある。
象形文字がしるされた初期の碑文が発見されるまでは、楔形文字がもとは象形文字だったという確実な証拠はなかった。1897年にドイツの学者デリッチは、楔形文字がもとは象形文字だったという説に異論をとなえ、楔形文字は比較的少ない数の簡単な文字から発達してきたのだと主張した。彼の説は、そのような簡単な文字をくみあわせることによって、数百もの楔形文字がつくられるようになったというものである。この説は、ある程度の賛同をえたが、ほとんどの学者は象形文字起源説のほうを支持していた。象形文字起源説は、最終的には、アメリカの東洋学者バートンの「バビロニア文字の起源と発達」によって、1913年にみとめられることになる。この本には、初期の楔形文字の碑文にしるされた288の象形文字がのせられ、その象形文字の発達についてしるされていた。 また、1928~31年にドイツの考古学者たちがイラクにある古代都市ウルクの遺跡を発掘した結果、粘土板にきざまれた、現在知られている最古の象形文字がみつかっている。 楔形文字の解読により、古代アッシリアやバビロニア、中東地域一般についての事柄が、相当程度わかるようになった。楔形文字でしるされたハンムラピ法典は、紀元前の時代のもっとも重要な文書のひとつである。古代エジプトの歴史を解明する手がかりをあたえる楔形文字の碑文もある。1929年シリア北部のラス・シャムラでフランスがおこなった発掘によって発見された楔形文字は、子音をあらわしており、前1400~前1200年ころにつかわれたものと推定されている。このいわゆるラス・シャムラ楔形文字で書かれた神話は、古代シリアの宗教儀式を解明する手がかりとなり、聖書の内容の再解釈にもかかわってくるものである。
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