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  • リチャード・ニクソン - Wikipedia

    リチャード・ミルハウス・ニクソン ( Richard Milhous Nixon, 1913年 1月9日 - 1994年 4月22日 )は、 アメリカ合衆国 の第36代 副大統領 および第37代 ... の辞任はアメリカ史上初めてのことであり、その後も任期中に辞任した大統領は現れていない。なお、後任の ジェラルド・R ...

  • ニクソン,R.M. - MSN エンカルタ 百科事典 ...

    1913~94 アメリカ合衆国第37代大統領。在任1969~74年。外交面では大きな成果をあげたが、経済の立て直しには失敗。帝王的大統領として行政府への過度の権力集中を生む中で、権力欲と猜疑心さいぎしんからウォーターゲート事件をひきおこして辞任し、国民 ...

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ニクソン,R.M.

ニクソン Richard Milhous Nixon
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

1913~94 アメリカ合衆国第37代大統領。在任1969~74年。外交面では大きな成果をあげたが、経済の立て直しには失敗。帝王的大統領として行政府への過度の権力集中を生む中で、権力欲と猜疑心(さいぎしん)からウォーターゲート事件をひきおこして辞任し、国民に深い政治不信をうえつけた。

1913年、カリフォルニア州ヨルバリンダで生まれる。苦学のすえに地元のホイッテア大学を卒業後、デューク大学で法律学をまなび、弁護士を開業。42年に海軍に志願、補給部隊少佐として除隊する。46年にカリフォルニア州共和党から連邦下院議員に当選した。下院では非米活動委員会で活躍、国連創立総会事務総長アルジャー・ヒスを失脚させて一躍脚光をあびる。50年には上院議員に選出された。

II

副大統領から大統領へ

1953年、アイゼンハワー政権の副大統領となり、56年にも再選された。在任中、フルシチョフとの会談(1959)もふくめ豊富な外交経験をつみ、60年に共和党大統領候補となるが、民主党のケネディに惜敗する。62年にはカリフォルニア州知事選挙に出馬し敗北、いったんは政界引退を表明してニューヨークで弁護士となるが、共和党内には強い影響力を維持した。68年の大統領選挙でふたたび大統領候補となり、混乱する社会へ「法と秩序の回復」をうったえて当選、奇跡の政界返り咲きをはたす。

大統領は就任演説で「対立の時代をへて、いまやわれわれは話し合いの時代に足をふみいれた」とのべ、選挙公約であるベトナム戦争の早期解決をめざして、アメリカ軍の段階的撤退と南ベトナム軍の地上戦肩代わりによる「ベトナム化」をうちだし、1973年1月に北ベトナムとパリ和平協定を締結した。また、キッシンジャー大統領特別補佐官と中国首相、周恩来の秘密会談(1971)、自身の訪中(1972)によって関係改善をはかるいっぽう、第1次戦略兵器制限交渉(SALT-I)で合意、米ソ対等を原則とする協定を締結してデタント(緊張緩和)を推進する。さらに、第4次中東戦争による石油危機(1973)では、キッシンジャー国務長官をもちいてイスラエル・エジプト関係の改善をはかった。

国内政策では民主党の高度成長政策を批判、政府の経済介入をおさえ、自助精神を強調しつつ地方分権の促進をはかったが、スタグフレーションを解決することはできず、国際収支も悪化をつづけた。1971年には減税や賃金・物価の90日間凍結、外国保有のドルと金の兌換(だかん)停止を柱とする新経済政策をうちだす。しかしインフレも不況も改善せず、ドル危機によりIMF(国際通貨基金)体制の動揺をまねき、国際通貨の変動相場制移行をもたらした。いっぽう、白人中産階級の支持を背景に治安回復をはかり、犯罪や麻薬の取り締まりだけでなく反戦運動や差別撤廃運動に力による抑圧的態度でのぞんだ。また、黒人差別の撤廃にも消極的で、法的な差別撤廃はみとめつつもバス通学時の人種隔離を廃止する政策的対応には反対し、最高裁判所判事に次々と保守的な人物を任命した。

III

ウォーターゲート事件

1972年の大統領選挙では、はなばなしい外交上の成果を背景に民主党のジョージ・マクガバンに圧勝した。選挙期間中におこったウォーターゲート事件(民主党全国委員会本部に盗聴器を仕掛けようと侵入した犯人が逮捕された事件)は、当初、大統領は関与を否定したため問題にならなかったが、その後の調査の進展により、ホワイトハウスと大統領再選委員会が関与していた疑惑が深まり、ワシントン連邦地裁や上院ウォーターゲート特別調査委員会によって、しだいに真相が明らかにされた。20人以上の関係者が起訴される中で、大統領自身がCIAFBIをつかって事件のもみ消し工作に関与した可能性が濃厚となり、上院特別調査委員会における大統領執務室での会話録音テープ提出問題をめぐって国民の不信は深まっていく。アグニュー副大統領が収賄事件で辞任(1973年10月)においこまれ、大統領についても権力乱用や不正のさまざまな疑惑が生まれた。

最高裁判所から会話録音テープの提出命令がだされ、大統領の直接関与をしめす証拠が明らかになると、下院での弾劾が必至となり、1974年8月、テレビで事件のもみ消し指示をみとめる演説をおこない辞任を表明。アメリカ史上はじめてみずから辞任した大統領となった。8月9日、フォード副大統領が大統領に昇格、就任1カ月後に特赦があたえられた。

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