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カナダ

カナダ Canada
百科事典項目
マルチメディア
アメリカ大陸への人類の移住アメリカ大陸への人類の移住
項目構成
3

州および準州の政府

10州の政府は、名目的には連邦政府の首相の助言によってカナダ総督が任命する副総督に代表される。しかし、総督と同様に副総督はほとんど権限をもたず、実際には各州の首相が、一院制の州議会に対して行政の責任をおうことになる。

準州は連邦政府から任命されたコミッショナーの管轄下にあるが、ノースウェスト準州では準州議会が、ユーコン準州では選挙でえらばれた協議会と準州議会が行政に関する助言をおこなう。第3の準州であるヌナバットも、他の2準州と類似の政治機構をもつ。

4

国防

文民の国防大臣のもとに、幕僚がカナダ軍を統括、指揮している。カナダはNATO(北大西洋条約機構)に属し、空軍と陸軍をヨーロッパに派遣している。さらにアメリカと共同でNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)を構成する。国際連合の平和維持軍にも派兵している。2004年のカナダの総兵力は6万2000人である。

VIII

歴史

カナダの歴史は、きびしい自然と豊かな国土と多様な民族(先住民、イギリス系やフランス系など世界じゅうからの移民)によって形成されてきた。1867年の連邦結成以来、アメリカ合衆国の影響をうけながら、カナダはしだいにイギリスとのつながりよりも、北アメリカ国家としての色彩を強めつつある。

1

アメリカの先住民

先住民たちは1万7000年前~1万4000年前ころ、アジアからベーリング海峡をわたってやってきたとする説が有力であるが、それ以前、たとえば2万5000年前~2万4000年前あるいは3万年以上前に移住があったと考える専門家もいる。現在のアラスカに移住してきた人々は、徐々に南北アメリカ大陸に広がっていった。ヨーロッパ人が多数移住しはじめる1600年ごろのカナダの地には、彼らの血をひく先住民が25万人以上すんでいたとみられ、狩猟や漁労のほか、温帯地域では農業もいとなまれていた。

最大の言語グループはアルゴンキン系語族で、東の亜北極地帯で狩猟をおこなうクリー族やナスカピ族、東の森林地帯にすむアベナキ族やミクマク族がふくまれる。18世紀までにアルゴンキン系語族は西へと広がり、平原地帯にはオタワ族、オジブワ族ブラックフット族、プレーンズ・クリー族などがバイソンをおって移住するようになる。イロコイ系語族(ヒューロン族とイロコイ族)は定住して農業をいとなみ、セントローレンス峡谷やオンタリオ湖エリー湖の周辺で部族組織を高度に発展させた。

ブリティッシュコロンビア内陸部の諸河川では、セーリッシュ系語族、アサバスカ系語族やそのほかの言語グループが漁村を形成していた。太平洋岸ではベラクーラ族などのセーリッシュ系語族やウォキャシュ語を話す諸部族が、ポトラッチ(一種の贈答儀式)やトーテム・ポール(木彫柱)にみられる高度な文化を発展させる。少数で孤立していたイヌイットの諸部族は、北極地域の過酷な環境での生活を可能にした、アザラシカリブー猟にもとづく独自の文化をそだてた。

2

ヨーロッパ人の侵入

北アメリカに到達した最初のヨーロッパ人は、おそらく1000年ごろにグリーンランドにやってきたアイスランド人で、彼らの一部はニューファンドランド島北端まできて集落を建設した。その跡がランソメドウズ(ランス・オー・メドー)遺跡といわれて世界遺産に登録されている。しかし、ヨーロッパ人の本格的な到来は15世紀末以後である。初期の探検家の多くはヨーロッパからアジアにいたる北西航路をさがしもとめていたため、北アメリカ大陸への関心はうすく、むしろアジアへの航路の障害と考えた。イギリス国王の援助をうけたベネツィア人ジョン・カボットが1497年におこなったケープブルトン島とニューファンドランド島への航海は、のちにイギリスがカナダの領有権を主張する根拠となった。

1530年代には、フランス人探検家ジャック・カルティエらがニューファンドランドが島であることを確認、セントローレンス川をさかのぼり、その一帯をフランス王領と宣言した。カルティエもアジア航路の発見には失敗したが、ニューファンドランド沖のグランドバンクスでのタラ漁は、その後イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルにとって重要な資源となった。

16世紀後半になると、北アメリカへのイギリスとフランスの関心が復活する。イギリスのマーティン・フロビッシャーは1570年代に、ヘンリー・ハドソンは1607年からアジア航路をさがしつづけ、10年にはハドソン湾に達したが失敗におわり、イギリスは30年代に、ニューファンドランドへの入植を事実上禁止してしまう。

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