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名誉革命

名誉革命 めいよかくめい Glorious Revolution
百科事典項目

1688~89年にイギリスでおこった革命。ピューリタン革命以前からつづいていた国王と議会との主権争いに終止符をうち、立憲君主制の基礎をかためた。具体的には、専制をおこなうイングランド王ジェームズ2世を退位させ、長女のメアリーとその夫のオランダ総督オラニエ公ウィレムが共同統治者として王位についたが、この交代劇はほぼ無血でおこなわれたため、名誉革命とよばれる。

王政復古体制下、国王によるカトリック復活政策を危惧した勢力は、1678年、国王チャールズ2世の弟でカトリック教徒であるジェームズの王位継承者排除法案を議会に提出したがかなわず、85年にジェームズ2世は即位した。これに反対する前王の庶子のモンマス公は反乱をおこしたがあえなく鎮圧され、「血の巡回裁判」とよばれる極刑に処せられた。この後、ジェームズ2世は議会を休会し、審査法を無視してカトリックを官吏につけ、常備軍を配置し、2度にわたって「信仰自由宣言」を発するなど、カトリック復活を意図し、議会を無視した専制政治をおこなった。

このような専制に対する反発の中、ジェームズ2世に男子が生まれたことで次期国王もカトリックとなる恐れが強まると、それまで対立していたトーリー党ホイッグ党両党は和解し、オラニエ公に武装援助をもとめた。これにこたえて、オラニエ公が1688年11月にイングランドに上陸すると、ジェームズ2世はフランスへ逃亡し、89年1月に開かれた仮議会は「王位は空位である」と宣言した。議会は「イギリス人の古来の権利と自由」をうたった権利章典を発し、オラニエ公と妻メアリーはこれを承認して、共同統治者ウィリアム3世、メアリー2世として即位、ここに名誉革命がなったのである。

名誉革命は王権を制限することに成功したが、それはあくまで支配者層内部の権力争いであり、むしろ大土地所有層による寡頭支配体制を温存させる結果となった。また、イングランドにおける無血革命は、ジェームズ2世の支持勢力が多かったスコットランド、アイルランドにおいては徹底的な武力弾圧による支配の確立という流血の側面をもっていた。

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