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ボスニア・ヘルツェゴビナ

ボスニア・ヘルツェゴビナ Bosnia and Herzegovina
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

ヨーロッパ南東部、バルカン半島南西部にある共和国。正式国名はボスニア・ヘルツェゴビナ。略してボスニアとよばれることもある。北と西はクロアチア、東と南はセルビアおよびモンテネグロと国境を接する。かつてはユーゴスラビア(旧)を構成する共和国だったが、1992年3月に独立を宣言した。このあと内戦が勃発(ぼっぱつ)し泥沼化したが、95年12月の和平協定でいちおう終息。統一ボスニアにむけて新たな体制づくりをはじめている。面積は5万1129km²。人口は455万2198人(2007年推計)。首都は同国最大の都市サラエボ

II

国土と資源

クロアチアとの西の国境をなすディナラ山脈をはじめ、いくつかの山脈が国土の多くを占める。北部のボスニアは森林が広がっているのに対して、南部のヘルツェゴビナはやせた石灰岩質のカルスト台地が多く、ネレトバ川河口部の低地で灌漑農業がおこなわれている。南西の一部わずか20kmは、アドリア海にのぞむ海岸線となる。おもな河川は、北の国境をながれるサバ川とその支流ウナ川、ドリナ川、ブルバス川。

気候は暑い夏と寒い冬が特徴で、とくに高地は短くすずしい夏ときびしい冬が一般的である。海岸地方は温暖で、冬は雨が多い。

野ウサギ、ヤマネコ、イタチ、カワウソ、シカ、キツネ、オオカミ、ムフロンなどの野生動物がすみ、絶滅の懸念のあるオオヤマネコやイタチは保護動物に指定されている(哺乳類絶滅危惧種は2004年で8種)。森林資源にとみ、木材、岩塩、マンガン、銀、鉛、銅、鉄鉱石、クロム、石炭を産する。また、この地域は地震も多い。

III

住民

内戦前の1991年の人口は437万7000人。自己申告にもとづく民族構成では、ムスリム人(ムスリム)が最大の民族集団で、全人口の44%を占め、ついでセルビア人が31%、クロアチア人は17%であった。ムスリム人はオスマン帝国の支配下でイスラム教に改宗した南スラブ人(クロアチア人、セルビア人)の子孫で、旧ユーゴスラビアでは主要民族のひとつとしてみとめられていた。内戦終結後、「ムスリム人」という民族概念はもちいられなくなり、かわってムスリムに対してボスニア人がつかわれている。

公用語は、ボスニア語、セルビア語、クロアチア語。いずれも旧ユーゴスラビア崩壊までセルビア・クロアチア語とされてきた言語で、大きな違いはないが、ボスニア語とクロアチア語はラテン文字を、セルビア語はキリル文字を使用する。宗教は、ボスニア人(ムスリム人)はイスラム教(おもにスンナ派)、セルビア人はセルビア正教(東方正教会)、クロアチア人はローマ・カトリック教を主として信仰する。なお、ほかにロム(ジプシー)やユダヤ人なども少数民族としてすんでいる。

農村居住者が人口の3分の2を占め、都市居住者も三大都市のサラエボ、バニャルカモスタルに集中していた。

ボスニア内戦の過程で3民族が相互におしすすめた「民族浄化」により、人口が減民しただけでなく民族構成の変化など、紛争の影響は大きい。

また、内戦の過程で、約275万人の人々が難民としてボスニア国内のほかの地域、隣接する旧ユーゴスラビア諸国、ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国に避難したといわれる。1996年1月、日本をふくむ約40カ国がジュネーブで「ボスニア人道支援特別会議」を開催し、ボスニア難民の段階的な帰還の方針を決定した。しかし、この大量の難民の帰還には莫大(ばくだい)な費用が必要なだけでなく、故郷の民族構成が変化したため帰還できない人たちが多数出てしまった。

義務教育は6~15歳で、無償である。初等教育を修了すると、ほとんどが職業専門学校やギムナジウムなどの中等学校へすすむ。大学はサラエボ、バニャルカ、モスタル、トゥズラにあるが、内戦による被害のため他所への一時移転を余儀なくされた。内戦後は復旧がいちじるしい。

IV

経済

旧ユーゴスラビア国内で、ボスニア・ヘルツェゴビナはマケドニアにつぐ経済後進地域であった。経済はタバコや果物を主産品とする農業に依存してきたが、肥沃(ひよく)だった畑地も内戦で荒廃し、耕作不可能の状態となっている。工業は大部分がセルビア人支配地域にあるが、1992年の段階で工業プラントの約80%が破壊された。93年には経済がほとんど麻痺(まひ)同然となり、人々は海外からの救援物資にたよる生活を強いられた。くわえて、セルビアとクロアチアによる経済封鎖が経済の悪化に拍車をかけた。

1994年3月にクロアチアがアドリア海の封鎖解除に合意したことで、ようやく悪化に歯止めがかけられたが、GDP(国内総生産)は内戦前の10~20%の水準にまでおちこんだ。工業は繊維、食品加工、軍需部門がかろうじて機能している程度であったが、96年以後、経済はしだいに回復している。第2次世界大戦後に建設された金属工業プラントが深刻な大気汚染をひきおこしている。

ボスニア政府は1992年に旧ユーゴスラビア時代のディナールにかえて独自の通貨の導入を決定したが、実施はおくれ、98年1月に新通貨の兌換(だかん)マルクが発表された。

ボスニア・ヘルツェゴビナの新聞は、内戦期には大部分が国外での印刷を余儀なくされたが、内戦終結後、日刊紙「オスロボジェーニェ(解放)」などが復刊された。

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