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  • 第2次世界大戦/第二次世界大戦

    第2次世界大戦 1939(昭和14)年9月1日~1945(昭和20)年9月2日 World War II 1939(昭和14)年9月1日~1945(昭和20)年9月2日 三国同盟 ( 日独伊三国同盟 )を中心とする枢軸国陣営と、米、英、仏、露、中国などの連合国陣営との間で戦われた人類史上空前の大戦争

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第2次世界大戦

第2次世界大戦 だいにじせかいたいせん World War II
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

1939~45年に、ドイツ、イタリア、日本の三国同盟(日独伊三国同盟)を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中国などの連合国陣営との間でたたかわれた、地球的規模の戦争。1939年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻とともにヨーロッパ戦争としてはじまったが、41年6月のドイツによるソ連攻撃と12月の日本の真珠湾攻撃によって、戦火は文字どおり全世界に拡大した。

戦争は完全な総力戦となり、主要参戦国では戦争遂行のため人的・物的資源の全面的動員、投入がおこなわれた。世界の61カ国が参戦し、総計で約1億1000万人が軍隊に動員され、主要参戦国の戦費はアメリカの3410億ドルを筆頭に、ドイツ2720億ドル、ソ連1920億ドル、イギリス1200億ドル、イタリア940億ドル、日本560億ドルなど、総額1兆ドルをこえる膨大な額に達した。

航空機や戦車など旧来型兵器のいちじるしい発達にくわえて長距離ロケットや原子爆弾(核兵器)という大量殺戮(さつりく)兵器が登場し、戦場と銃後の区別がとりはらわれた。史上最初の原子爆弾の投下をふくむ都市への無差別爆撃、ドイツ占領下の各地で実施された強制労働や略奪および約600万人ものユダヤ人の組織的絶滅政策(ホロコースト)の遂行などにより、婦女子をふくむ約3000万人の一般市民が命をおとした。これは大戦での死者総数約5500万人の半分をこえている。

II

ファシズムの台頭

第2次世界大戦の遠因は、第1次世界大戦後の世界秩序をきめたベルサイユ条約などにもとづく、いわゆるベルサイユ体制にもとめられる。帝政にかわって共和国となったドイツ(ワイマール共和国)は領土の喪失、徴兵制禁止などの一方的軍縮にくわえて巨額の賠償支払いを課せられ、空前のインフレの進行により国民生活は窮乏の一途をたどった。屈辱的なベルサイユ条約をむすんだ共和国政府への反感とともにベルサイユ体制打破が国民の合い言葉となった。

戦勝国のイタリアも戦後の領土配分にいきどおり、同じく戦勝国の日本も中国進出の野望がさまたげられたことに不満をいだいた。イタリアではムッソリーニが不満分子をひきいて1922年にローマに進軍し、政権を奪取して反共産主義、反議会主義、軍国主義的独裁にもとづく全体主義体制(ファシズム)を樹立した。ファシズムの動きはやがてドイツと日本にも波及した。

戦勝国のイギリス、フランスは1920年に国際連盟を創設し、現状維持をかかげて自らつくりだした戦後の国際秩序をたもとうとしたが、国力の衰えからそれを実現する条件を欠いており、国際連盟の平和維持能力には初めから大きな限界があった。戦後秩序維持に最大の期待をかけられたアメリカは、内政上の理由から伝統的な孤立主義にまいもどり、国際政治の舞台からしりぞいた。

1924年のマルクの安定やドーズ案に代表される新たな賠償支払い計画の導入とともに、ドイツ経済は平静をとりもどし、ワイマール共和国は相対的安定期にはいった。25年にはロカルノ条約がむすばれて、ドイツ、フランス間の国境不可侵と、ドイツ、ポーランド間の紛争の調停が約束され、ドイツは翌年に国際連盟への加盟をみとめられた。日本も22年にワシントン海軍軍備制限条約(ワシントン会議)に調印し、大正デモクラシーの興隆の中で幣原外相の推進する国際協調主義が主流となった。さらに、28年にはパリで不戦条約がむすばれ、ソ連をのぞく63カ国が戦争放棄と紛争の平和的解決を誓約した。こうして、平和維持の試みは達成されるかに思われた。

しかし、1929年におきた世界大恐慌(恐慌)は事態を一変させた。恐慌は、とりわけ資源や資本あるいは植民地をもたないドイツ、イタリア、日本を直撃し、3国における現状打破の動きを促進させた。

ドイツでは失業者が激増する中で、ヒトラーひきいる国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党またはナチス:ナチズム)がベルサイユ体制打破、反共産主義、社会主義的綱領をかかげて小市民層や没落中産階級の高い支持を獲得し、1933年1月に政権獲得に成功した。さらに、翌年8月の共和国大統領ヒンデンブルクの死によってヒトラーは首相兼総統に就任し、独裁体制を確立した。国内体制をかためるいっぽうでヒトラーは、33年10月に国際連盟を脱退し、35~36年に徴兵制復活、ラインラント進駐などを強行し、強大な軍備をととのえながらベルサイユ体制の打破をおしすすめた。

日本も軍部と天皇を中心とする全体主義的支配体制を樹立しながら、1931年9月の柳条湖事件を契機に中国東北部を占領し、37年7月には本格的な中国本土への侵略を開始した(日中戦争)。イタリアも35~36年にエチオピア征服を完了した。こうしてドイツ、イタリア、日本のファシズム3国は結束を強化し、37年の三国防共協定の調印によって、いわゆるローマ・ベルリン・東京枢軸を結成して積極的な領土拡大政策にのりだしていった。

III

ヒトラーの野望と世界戦争への道

ドイツ国内の支配体制を確立したヒトラーは、戦争を前提とする領土拡大政策に着手した。ヒトラーは社会ダーウィニズムにもとづく人種思想に強く感化されており、アーリヤ人とよばれる理想化されたドイツ民族を支配人種として賛美し、劣等なスラブ人はドイツ民族に隷従し、ユダヤ人は害虫として抹殺されねばならないと主張した。

共産主義もユダヤ人の考案物とされ、したがって、ユダヤ・共産主義の中心であるソ連を撃破し、ユダヤ人を絶滅するとともに、ソ連領内にドイツ民族のための広大な土地(生存圏)を確保してドイツ民族の永遠の繁栄を実現すること、これがヒトラーの構想の基本となった。この目的を実現するために、最初にヨーロッパを征服し、その後にソ連の打破をめざすことが計画された。

ヒトラーは、1938年3月13日にオーストリアをドイツに併合したあと、戦争の脅しをもってチェコスロバキアにおそいかかった。そして、9月29~30日にミュンヘンで開かれたイギリス、フランス、ドイツ、イタリア4国の首脳会談で、350万人のドイツ人が居住するチェコスロバキア西部国境のズデーテン地方の奪取に成功した(ミュンヘン協定)。

この会談でイギリス首相チェンバレンはドイツに対する「宥和政策」をとなえたが、その意図は、戦争をおそれるイギリス、フランス両国にとって死活の問題ではない東南ヨーロッパを取引材料に、ヒトラー・ドイツを社会主義国ソ連に対する防壁として利用しようとすることにあった。そして、ドイツがチェコスロバキアの残りの領土を併合しないことを条件に、ヒトラーに譲歩したのである。

ヒトラーはイギリス、フランス両国の弱腰に乗じてチェコスロバキアの残りの領土解体に着手した。1939年3月14~15日に、ボヘミアとモラビアはドイツの保護領、スロバキアは名目上の独立国家となり、チェコスロバキアは消滅した。ポーランドを次の侵略目標とさだめたヒトラーは3月21日、第1次世界大戦でうしなったダンチヒ(グダニスク)とポーランド回廊の返還をポーランド政府に強要した。ここにいたってポーランドと相互援助条約をむすんでいたイギリス、フランスはドイツとの戦争を覚悟せざるをえず、ヨーロッパ戦争の危険が現実のものとなった。

ヒトラーの野望を阻止する唯一の手段は、イギリス、フランス、ソ連が同盟をむすび、ドイツに対する包囲網を完成することだった。いっぽうヒトラーも、これら3国との東西二正面戦争を回避する必要にせまられ、ソ連との暫定的な関係修復をいそがねばならなかった。ソ連の支配者スターリンは、イギリス、フランスの「宥和政策」をドイツの矛先をソ連にむけさせるものであると見ぬき、両国の態度に強い不信をいだいていた。この時期、ソ連の戦争準備は軍将校の大量粛清のために完了しておらず、スターリンはポーランドの次に予想されるドイツのソ連侵攻を回避して時をかせぐために、仇敵(きゅうてき)ドイツとの関係改善をはかる決意をかためた。

1939年8月23日、独ソ不可侵条約がむすばれた。この条約には4カ条からなる「付属秘密議定書」が付されていて、両国間でのポーランド分割、フィンランドおよびバルト3国へのソ連の影響力の拡大、ルーマニア領ベッサラビアでのソ連権益の保証などがとりきめられた。こうして、ドイツはソ連から攻撃されることなく、ポーランド侵攻に着手できることになった。

IV

大戦の開幕

1939年9月1日未明、最新型の戦車2000台と航空機1600機を有する総計150万人のドイツ軍は計画どおりポーランドに侵攻した。9月3日、イギリス、フランスはドイツに対して宣戦布告し、第2次世界大戦がはじまった。

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