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    第二次世界大戦 (だいにじせかいたいせん World War II)は、 1939年 から 1945年 にかけて 連合国 と 枢軸国 の二つの陣営で行われた人類史上二度目の 世界大戦 。主な戦場は ヨーロッパ戦線 と アジア・太平洋戦線 の二つ。両陣営合わせて、数千万人の死者を ...

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    第2次世界大戦 1939(昭和14)年9月1日~1945(昭和20)年9月2日 World War II 1939(昭和14)年9月1日~1945(昭和20)年9月2日

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第2次世界大戦

第2次世界大戦 だいにじせかいたいせん World War II
百科事典項目
項目構成
VI

戦局の転換

1942年の夏以降、戦局はしだいに連合国の優位にかたむきはじめた。6月28日、ソ連戦線ではドイツ軍がふたたび攻勢に転じ、石炭や石油の豊富なドネツ盆地とカフカス占領のために進撃を開始した。ドイツ軍の作戦計画はパウルス将軍ひきいる第6軍にボルガ河畔のスターリングラード(現ボルゴグラード)を占領してソ連軍を牽制する一方で、リスト将軍ひきいるA軍集団に黒海とカスピ海にはさまれたカフカス地方の奪取を命じていた。第6軍は進撃をつづけ、11月までにスターリングラード市街の拠点を占領した。A軍集団はカフカスの山岳地形に難渋し、進撃ははかどらなかった。この2つの戦線の距離は1100kmにもおよび、側面防衛には弱体のイタリア、ルーマニア、ハンガリー軍が配置された。

1

スターリングラード攻防戦

スターリンは威信のためにも、自らの名前を冠したスターリングラード防衛のために全力をかたむけ、大軍を集結するとともに、1942年11月19日に反撃を開始し、側面防衛の枢軸国軍をけちらし、ドイツ第6軍を包囲した。ヒトラーの無謀な死守命令のために脱出のおくれた第6軍は43年1月31日に降伏し、パウルスをふくむ約9万1000人のドイツ兵が捕虜となった。スターリングラードの敗北で、カフカス進出のA軍集団もソ連軍による包囲をさけるため、撤退においこまれた。

ヒトラーは戦局挽回(ばんかい)のために再度の攻勢を決意し、1943年3月からドネツ川とドニエプル川の中間でソ連軍を攻撃して重要拠点のハリキフを占領した。ソ連軍は後退し、ハリキフ北方のクルスク周辺に堅固な防衛陣地をかまえた。7月5日、ドイツ軍装甲部隊の攻撃とともに、ドイツ、ソ連両軍は大規模な戦車戦を展開したが、ソ連軍はドイツ軍の進撃を阻止した。8月以降もソ連軍の攻勢はつづき、キエフを奪還、12月までにドイツ軍をドニエプル川以西においはらってウクライナの大半を確保するとともに、白ロシア(ベラルーシ)攻撃の準備に着手した。東部戦線の主導権はソ連軍の手にうつったのである。

2

北アフリカ戦線

北アフリカ戦線でも、1940年9月のイタリア軍のリビアからエジプトへの侵攻以後、戦闘がつづいていた。装備、戦意におとるイタリア軍は敗走し、41年1月にイギリス軍がリビアのトブルクを占領した。ヒトラーは即座に対応し、2月にロンメル将軍ひきいるドイツ軍をリビアに派遣してイギリス軍を撃退した。翌42年6月、トブルクを包囲したドイツ軍は攻勢に転じてエジプト国境のエル・アラメインにせまり、モンゴメリー将軍ひきいるイギリス軍と激戦を展開した。戦闘は一進一退をつづけたが、戦車、弾薬の欠乏したドイツ軍は同年11月初めに撤退し、リビアでの戦闘は連合国の勝利におわった。

さらに、1942年11月8日にアイゼンハワー中将ひきいるアメリカ、イギリス軍がモロッコアルジェリアに上陸し、北アフリカでのドイツ、イタリア軍の最後の拠点チュニジア進攻を開始した。43年5月13日、27万5000人あまりのドイツ、イタリア軍が降伏し、連合国の優位は不動のものとなった。

3

日本軍の敗退

南西太平洋では、1942年8月7日にアメリカ軍がソロモン諸島中央のガダルカナル島に上陸し、攻勢を開始した。翌年2月7日に日本軍が同島を撤退するまでに、日本軍とアメリカ軍はソロモン諸島の海と空で激戦を展開したが、物量にまさるアメリカ軍はしだいに日本軍を駆逐し、43年末までにニューギニア島をほぼ制圧してフィリピン進攻の体制をととのえはじめた。

4

連合国首脳会談

戦局が連合国の決定的優位にかたむく間、主要連合国は数回の首脳会談を開催し、今後の政略・戦略問題の調整をおこなった。1943年1月14~24日のカサブランカ会談では、アメリカ大統領ルーズベルトとイギリス首相チャーチルがシチリア島とイタリア本土上陸作戦を協議し、枢軸国に対して無条件降伏をもとめることを宣言した。11月22~26日にはルーズベルト、チャーチル、中華民国総統の蒋介石カイロ会談をおこない、日本が獲得した全領土の奪還を中心とする対日戦争目的が決定された。さらに、11月28日~12月1日のテヘラン会談で、ルーズベルト、チャーチル、スターリンは44年5月に北フランス上陸(オーバーロード作戦)を決行し、ヨーロッパでの第2戦線を開く決定をくだすとともに、ソ連の対日参戦が密約された。

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