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物質が酸素との急激な反応によってもえるときにだす炎や熱、光を火とよび、あるいはもえたり熱せられて赤熱したものや、その状態を火とよぶ。→ 燃焼 火の発光部分は燃焼物質の微粒子や水素、酸素などの気体生成物によって構成され、燃焼温度に応じて色相や輝度のことなる光を発する。タバコや線香の火や熾火(おきび)、炭火などは無炎燃焼の火だが、可燃性の微粒子や気体生成物が多く発生し、これに引火すると有炎燃焼がおき、いわゆる火炎が生じる。 火が発生し、持続するのに必要な条件は、可燃性物質の存在と、発火および燃焼をひきおこすのにじゅうぶんな熱エネルギー、そして燃焼の持続にじゅうぶんな酸素の供給である。
人間にとって火は、料理、暖房、照明(→ ろうそく:ランプ)から器具の加工、焼畑耕作など、さまざまな恩恵をもたらす貴重で便利なものである一方、扱いをあやまれば火傷(やけど)はおろか村も森もやきつくし、人の生命をもうばうおそろしいものでもあった。世界の多くの神話では、火ははじめ神々や人間以外の精霊や動物のものであり、知恵ある勇敢な祖先が大きな危険をともなった冒険の果てに火を獲得し、快適な生活を手にいれたことをものがたっている。
固定した形をもたず、まるで生命体のように伸縮、明滅、変化し細分する火は、そのものが神とも考えられていた。アイヌの最高神アペカムイ(火のおばあさんの神)はいろりの火にやどり、沖縄の最高神ピヌカン(火の神)も、3つの石をくみあわせた原始的なかまど(竈)をかたどっている。古代のインドやギリシャ、ローマ、ヨーロッパでも火の神はもっとも崇拝され、古代ペルシャにおこったゾロアスター教は「拝火教」ともよばれるようにたえず火をまつった。日本の密教や山岳宗教、不動信仰(→ 不動明王)や各地の火祭にもさまざまな火の技術や作法がつたえられ、火の神への信仰が色こく反映している。 人類の文化は、火の神をまつり、さまざまな工夫で火をつかいこなすことによって飛躍的に進歩してきた。快適な生活や、土器の製造、鉱石の精錬、金属器の製造などの新しい文明の基礎は、火の利用なしには実現しなかった。「古事記」では、鉱山の神や土器につかう粘土の神、生産の神などは、いずれも火の神と深くかかわる存在としてかたられている。 また、火に対する信仰は世界各地でさまざまに形をかえて年中行事や地方の祭りの中にのこされている。正月の獅子(しし)の火伏せの舞いは、火を呪術(じゅじゅつ)的に統御する火事除(よ)けの意味があり、小正月のどんど焼き(左義長:さぎちょう)は、火の浄化力で災厄や病魔をしりぞけるという信仰にもとづく行事である。 東アジアから東南アジア、南アジアまで広くおこなわれる盆(→ 盂蘭盆)の迎え火、送り火の習俗では、火は祖霊があの世からくる際の送迎の目印とされる。クリスマスも、本来は古代ヨーロッパの太陽崇拝にもとづく冬至の火祭りだった。これが、土着信仰をとりのぞこうとする政治的な判断からキリスト教の年中行事にくみこまれたのはずっと後代のことで、キリストの誕生日は正式には不明である。
一般に動物が火をこわがるというのは迷信で、山火事など身の危険を感じるような火炎でなければ、焚き火をおそれたりはしない。むしろ好奇心の強い動物の子供たちは、山火事のおさまった後の残り火をつついたりして、あそぶことさえある。東アフリカのサバナで生まれた500万年前の人類の祖先は、簡単な道具をつくり、直立二足歩行をしていたが、まだ火をつかうことは知らなかった。しかし、落雷や火山噴火、泥炭層の自然発火による森林火災などで火を間近にみる機会は多く、火になんらかの神秘性や興味は感じていたと考えられる。 ケニアのチェソワンジャ遺跡では140万年前の焚(た)き火跡が発見され、現在までこれが、人類が火をつかった最古の証拠とされている。50万~20万年前の北京原人の化石人骨がみつかった周口店遺跡では、長期間にわたる継続的な焚き火の跡が数メートルの灰の層になっている。人々は火の神に供物をささげ、火がきえないように薪の選択や炉の組み方をさまざまに工夫した。 火をうまくたくには、よく乾燥した燃料と効率よくもやす技術が必要である。焚き付けには着火しやすいスギやマツの枯れ葉などをもちいる。燃料と燃料の間の空気の流通がわるいとうまくもえないので、適度に間隔をあけて小枝をならべるが、水平におかず、立てぎみにしたほうがよくもえる。多孔質で軽く、油分を多くふくむ針葉樹の薪は火付きがよく、炎が長く火力は大きい。ただし、燃料密度が低いので火もちはわるい。また、炎が安定せず、こげたりヤニ臭くなるので直火(じかび)の料理にはつかわない。重くかたいクヌギやカシなどは火付きはよくないが火もちがよい。料理には、これら広葉樹の熾火をつかうのが適している。 風のくる側だけ開けて石でかこうと熱がにげず、熱反射と熱放射の相乗効果で効率よくもえる。こうした炉の工夫から発展して、後世のかまどや窯が生まれた。 灰の中に熾火をうずめて朝まで火種(ひだね)を保存する技術も工夫され、火種さえあればいつでも火がつかえるようになった。明治期までの日本の農村では、家の火がきえると家運もかたむくといわれ、和歌山県には明治期まで1000年以上もいろりの火をたやさずつたえてきた旧家があった、と南方熊楠が記録している。福岡県にも、四十数代、1200年以上にわたり、1つの火をまもりつづけた家があった。火をつかさどる主婦の責任は重く、あやまっていろりの火をたやしてしまった嫁は、家の者に気づかれないよう、隣の家から種火をわけてもらったという。
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