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人間の尊厳と価値を重んじる態度をさし、人間は真理と善にむかう能力をもつ理性的存在であるという考え方。中世では、真理と善の源泉は、キリスト教の神にもとめられた。それに対して、人文主義においては、それが人間の中に存在するとした。古代ギリシャ・ローマですぐれた古典を生みだした人たちこそ、その典型である。したがって人文主義はルネサンス運動と歩調を同じくし、歴史用語としては、14世紀から15世紀の西欧にひろがった文学的文化的運動をさすのがふつうである。
人文主義運動の誕生地はイタリアである。中世末期のイタリアの作家たち、たとえばダンテ、ボッカッチョ、ペトラルカは古典作品の発見と保存に貢献した。人文主義の理想を力強く表現したのはピコ・デラ・ミランドラで、彼の「演説」は、人間の尊厳をうたったものとして有名である。この運動に拍車がかかったのは、1453年にコンスタンティノープルがトルコに占領され、ビザンティンの学者たちがイタリアにのがれて、古代ギリシャの研究成果をつたえたからである。これらの学者たちの指導のもとに、フィレンツェにフィチーノを学頭とするプラトン・アカデミーが、メディチ家の庇護をうけて創設された。このアカデミーはイタリア人文主義の中心地になり、それまで支配的だったアリストテレス主義にかえてプラトン主義を復興させるとともに、文学、絵画、建築に大きな影響をあたえた。 古典の写本を収集し翻訳するためには多額の資金が必要であったから、はじめは高位聖職者と貴族しか参加できなかったが、15世紀半ばの活版印刷術の発明によって、古典作品は飛躍的に普及することになった。イタリアの人文主義運動が、もっぱら文学と美術の領域で発展したのに対し、中部ヨーロッパではロイヒリンやメランヒトンといったドイツの学者たちが活躍し、神学や教育の領域にも浸透していった。16世紀初頭の宗教改革の遠い源泉はここにあるといってもよい。
フランスの人文主義運動に指導的な役割をはたしたのは、オランダ人のエラスムスである。ラブレーなどのフランス・ルネサンス運動の土壌は、彼によって準備されたものである。エラスムスは、人文主義をイギリスに移植した点でも重要な人物である。彼の指導のもとで、オックスフォード大学やケンブリッジ大学に多数のすぐれた古典学者が育った。そして、運動の成熟とともに、人文主義は大学の枠をこえてイギリス社会の中にとけこみ、シェークスピアをはじめとするエリザベス朝文学と文化の開花に道をひらくことになった。 → ヒューマニズム
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