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政治的目的のために暴力を行使したり、それによって威嚇(いかく)したりする手法を、テロリズムという。政治的動機からみた場合、テロリズムは国家テロリズムと反政府テロリズムに分類することができる。前者は、国家(権力側)が体制の維持、強化のために反対勢力を封じこめようとしてもちいるものであり、後者は、反政府勢力が、権力の失墜や革命的状況の醸成、あるいは権力の奪取をねらってもちいるものである。 テロリズムはまた、特定の敵対者をたおすことが主目的である場合もあれば(個人テロ)、敵対者をふくむより広範囲の人々への威嚇をねらう場合もある。後者の場合には、しばしば無差別な殺戮(さつりく)がなされる(無差別テロ)。テロリズムは、今日ではしばしば国境をこえて国際的な広がりをもつようになっている。
政治的目的の達成のために敵対者を抹殺しようという行為は、洋の東西を問わず古くからあった。ただ一般には、正規の戦争において敵をたおし、それによって誕生した英雄を賛美はしても、個人的暗殺は戦士の道徳にてらしていかがわしいものとみなされていた。しかし、皇帝の圧政をたおそうとした19世紀末ロシアのテロリストや、伊藤博文を暗殺して日本の朝鮮統治に抗議した安重根のように、のちに民衆の英雄となった者もいる。 歴史をさかのぼってみると、テロリズムの行使者は、ほとんどの場合個人であり、そうした個人的テロリズムは今日でもいたるところでみられる。ところが近代にいたって、個人的テロリズムだけではなく、組織された集団的テロリズムがあらわれてきた。18世紀末のフランス革命におけるジャコバン派の独裁は、そうした集団的テロリズムの最初の事例であり、彼らによって革命の敵対者は組織的にギロチンにおくられたのである。さらに20世紀になると、集団的ないし組織されたテロリズムは、しばしば国家機関を利用した大規模なものとなった。その典型は、ドイツのナチズムとロシアのスターリン体制である。 テロリズムはまた、革命的か反革命的かという政治的イデオロギーによって、左翼テロリズムと右翼テロリズムに分類されてきた。ロシア革命以来、前者は赤色テロ、後者は白色テロとよばれてきた。しかし社会主義体制の崩壊以来、こうした伝統的なイデオロギー的分類はあてはまらなくなった。
第2次世界大戦後の世界で、テロリズムが世界的注目をあつめるようになったのは、1960年代の中東におけるアラブ・イスラエル紛争(→ 中東戦争)の激化を契機としている。それというのも、イスラエル占領地の奪還をめざすパレスティナ・ゲリラたちが、PLO(パレスティナ解放機構)に結集し、ハイジャックなどのテロリズムを展開したからである。 また北アイルランドのIRA(アイルランド共和軍)は、イギリスからの独立を要求して、イギリス全土で長期にわたって爆弾テロをくりかえした。これらは地域的・民族的・宗教的紛争の当事者たちが、ゲリラ的テロリズムを主要戦術として採用したもので、こうした紛争にともなうテロリズムの場合、犠牲者は無差別なものになる。 1970年代になると、アラブ・ゲリラのテロリズムは、ゲバラなどを指導者とする南米のゲリラ革命戦術とともに、旧西ドイツ、イタリア、日本など先進産業国家の過激な左翼運動に影響をあたえた。先進産業社会のテロリストたちは、共産主義イデオロギーによって影響される一方、中産階級の若者たちの支持をあつめ、テロリズムによって国家の反動的暴力を暴露しようとした。 テロリズムがこうした国際的な広がりをもって登場した原因のひとつに、技術の発達があげられる。たとえば、武器は小型化し、しかも破壊力をました。交通の発達はすばやい攻撃を可能にし、通信の発達は敏速な情報交換を可能にした。そうしたことで、都市ゲリラはきわめて効果的な破壊をなしうるようになったのである。 旧西ドイツにおいては、バーダー=マインホフ・グループとして知られる赤軍派が、銀行を襲撃したり米軍事施設を攻撃したりした。もっとも衝撃的な事件は、1977年の経営者連盟会長シュライヤーの誘拐・殺害事件であり、ソマリアでのルフトハンザ機ハイジャック事件である。日本赤軍の場合も同様であるが、ドイツ過激派はパレスティナ・テロリストと連携していた。しかし70年代の終わりまでには、赤軍メンバーの多くは逮捕されるか死亡してしまった。 イタリアのテロリスト集団のうちもっとも有名だったのは「赤い旅団」である。この集団はイタリアのアナーキスト的伝統と政治的混乱の産物といってよく、その活動は、1978年のモーロ首相誘拐・殺害事件で頂点に達した。その後左翼テロリズムは没落していったが、それにかわって、マフィアもからんだ右翼テロリズムが台頭してきた。80年にはボローニャの駅が、93年にはフィレンツェの美術館がテロによって爆破されている。政府とマフィアとの闘いでは、多くの担当検事がマフィアに殺害された。
日本においても、ドイツやイタリア同様、1970年代には日本赤軍、連合赤軍のほか、小グループによる極左テロが頻発した。とくに74年(昭和49)の三菱重工ビル爆破事件では、多くの市民が犠牲者となっている。しかしこの左翼テロも、70年代末から消滅していった。→ よど号乗っ取り事件:連合赤軍あさま山荘事件 右翼の場合、戦前からのテロリズムの伝統を戦後もひきついでおり、その流れの中で、社会党委員長浅沼稲次郎刺殺事件(1960)、風流夢譚(むたん)事件として知られる中央公論社社長夫人らへの殺傷事件(1961)など、いくつかの重大事件をひきおこしている。 しかし、戦前の右翼が頼みとした軍部が解体され、高度経済成長下でナショナリズムが衰退したこともあって、右翼の多くは弱体化し、現在では利権にからんだり、暴力団と癒着しているものも少なくない。 1994年(平成6)6月におきた松本サリン事件、翌95年3月の地下鉄サリン事件は、住宅密集地や地下鉄に毒ガスのサリンをまくという無差別テロだった。このテロをおこしたのは、オウム真理教という狂信集団で、これは左右のイデオロギーとはことなる「宗教」テロであった。
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