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    2006年3月15日、国際連合総会は、国際連合人権委員会を再編強化した 国際連合人権理事会 の創設決議案を可決した。この改組案は、 コフィー・アナン 国際連合事務総長が国際連合改革の一環として提唱してきたものである。

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国際連合

国際連合 こくさいれんごう United Nations
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

UNや国連と略称される。国際連盟のあとをうけて、第2次世界大戦後に設立された国際機構。1945年10月24日に国際連合憲章にもとづいて発足。本部所在地はニューヨーク。ジュネーブにヨーロッパ本部がある。国連の公用語は英語、スペイン語、フランス語、ロシア語、中国語、アラビア語(事務局での作業言語は英語とフランス語)。10月24日は「国際連合の日」とされ、世界各国でさまざまな行事がおこなわれている。2001年には、秩序ある平和な世界をつくるための業績が評価され、コフィ・アナン事務総長とともに、国際連合にノーベル平和賞(ノーベル賞)が授与された。

II

国連の創設過程

最初の世界的規模での集団安全保障体制として第1次世界大戦後に組織された国際連盟が第2次世界大戦を防止できなかった原因には、主要国家が加盟していなかったことや、全会一致を原則とした意思決定手続きなど、国際連盟自体の問題もあった。したがって第2次世界大戦の初期から、国際連盟にかわる国際平和機構の必要性が提唱されていた。

しかし、戦争中に国連の構想がすすめられたことは、当時連合国と交戦中であった日本やドイツなどの諸国に対する安全保障上の例外的規定を国連憲章にふくめることにもなった。すなわち、それらの旧敵国に対しては、国連が誕生したのちにもその集団安全保障体制(安全保障)の枠外で各加盟国が軍事力をふくむ行動をとることを可能とした(いわゆる「旧敵国条項」)。今日でも規定としてはのこされているが、すでに効力をうしなっており、近い将来に削除される動きにある。

1

戦後構想

1941年8月の米英共同宣言(大西洋憲章)において、フランクリン・ルーズベルト大統領とチャーチル首相は、「いっそう広汎(こうはん)かつ恒久的な一般安全保障制度の確立」に言及した。つづいて、26カ国が署名した42年1月の連合国共同宣言でもそのことがのべられている。45年3月1日までにさらに21カ国が署名し、これらの国家が同年4月から開催されたサンフランシスコ会議に参加して国連の原加盟国となった。43年10月、米・英・ソ3カ国の外相会談のあと、中国をくわえて4カ国によって採択されたモスクワ宣言(一般安全保障に関する4カ国宣言)の第4の原則は、できるだけはやい時期に、国際平和と安全のために「すべての平和愛好国の主権平等の原則にもとづく普遍的国際機構」を創設することをさだめている。

2

ダンバートン・オークス提案

ワシントン郊外のダンバートン・オークスで、1944年8月から10月にかけて米・英・ソ・中の4カ国でおこなわれた会議では、モスクワ宣言の抽象的構想を具体化する作業がおこなわれた。アメリカの用意した原案を基礎として10月7日に完成されたダンバートン・オークス提案(「一般的国際機構設立のための提案」)は、今日の国連憲章の原型となったもので12章からなり、戦後国際平和機構の内容がほぼ確定された。さらに、「国際連合」という名称もここで決定された。

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