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項目構成
上述の会議では、いくつかの重要問題について合意がえられなかったが、翌1945年2月にクリミア半島のヤルタでおこなわれたルーズベルト、チャーチル、スターリンの米・英・ソ首脳による会談(ヤルタ会談)で決着がついた。たとえば、安全保障理事会での投票権については、理事国自身が紛争の当事国である場合、その紛争の平和的解決に関する議事の場合には当該理事国は投票を棄権しなければならず、強制的解決に関する議事については投票権を(したがって常任理事国の拒否権も)制限されないこととなった。 また、ダンバートン・オークス会議では、ソ連はその16の共和国(当時)のそれぞれを原加盟国としてみとめるように主張していたが、白ロシア(現、ベラルーシ)とウクライナの2共和国のみを原加盟国としてみとめることになった。さらに、国際連盟の委任統治制度にかえて、今日の国連憲章に規定されている信託統治制度を採用することが合意された。
ダンバートン・オークス提案とヤルタ会談での決定事項を原案として、国連憲章を採択するために、米・英・中・ソの4カ国が共同主催国となって、1945年4月25日からサンフランシスコ会議が開催された。招請されたのは、日本かドイツに対して宣戦しているか、連合国共同宣言に署名した国家である。のちに、アルゼンチン、白ロシア、ウクライナ、およびドイツの占領から解放されたデンマークも招請され、会議の出席国は50カ国となった。ポーランドは、連合国共同宣言には名をつらねたが同会議には出席できず、署名する権利があたえられた。 同会議で問題となったのは、4大国間の合意である原案とその他の諸国の主張との調整と、米・ソの対立に関係するものであった。とくに、議事進行などの手続き事項をのぞくすべての実質的問題について、米・英・中・ソ・仏の5大国が拒否権をもつことが問題となった。その対象を限定しようとする中小国の主張はみとめられなかったが、安全保障理事会に対する総会の権限が部分的に強化された。また、経済社会理事会の権限も強化され、同会議ではじめて詳細な規定がもうけられた信託統治理事会とともに、主要機関とされた。
以上のような審議と部分的修正をへた国連憲章は、1945年6月26日に、サンフランシスコ会議の参加国50カ国とポーランドによって署名された。効力発生には5大国と、その他の署名国の過半数(すなわち24カ国)、合計29カ国が批准書をアメリカ政府に寄託することが必要であり、10月24日にこれが達成され、国連が成立した。この間に、太平洋戦争をふくめた第2次世界大戦のすべてが終結した。残りの署名国すべての批准書が寄託されたのは12月27日で、この51カ国が原加盟国とよばれる。第1回総会は、51カ国すべてが参加して、46年1月10日にロンドンの教会で開催された。
国連の加盟国は形式的に原加盟国と加入加盟国にわけられるが、加盟国としての地位、すなわち権利・義務に違いはない。原加盟国という呼称には、国連を創設した国々という意味もふくまれる。戦時中の連合国のみがこれに該当し、戦勝国のほか中立国をふくめて原加盟国とした国際連盟とはことなる。地域別では、西欧および中南米が多数派を形成していた。
加入加盟国となる憲章上の要件は、「この憲章に掲げる義務を受諾し、且つ、この機構によってこの義務を履行する能力及び意思があると認められる」「すべての平和愛好国」である。「憲章に掲げる義務」については、強制行動に参加する義務とスイスのような永世中立国との関係が問題となり、スイス政府は強制行動に参加する義務を留保のうえで、国連に加盟することを希望したが、国民投票の結果、加盟申請はみおくられた(その後2002年9月に加盟)。 「平和愛好国」という要件は抽象的な規定であり、加入手続きにおける安全保障理事会の勧告と総会の決定を通じて具体的に判断される。そのため政治的に利用されることもあった。今日では実質的な要件というより、象徴的な意味をもっている規定と考えられている。加入手続きは、安全保障理事会の勧告にもとづいて、総会の決定によっておこなわれる。安全保障理事会の勧告は実質事項として拒否権の対象となり、総会の決定は「重要問題」として3分の2の多数決によっておこなわれる。 2006年6月現在、国連には191カ国が加盟している。
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