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ステンド・グラス

ステンド・グラス Stained Glass
百科事典項目
項目構成
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ロマネスクのステンド・グラス

12世紀のロマネスク時代には、大規模な大聖堂が新築されるようになり、ステンド・グラスの芸術が花ひらいた。現存するロマネスク時代の窓で最古のものは、1050~60年あるいは1100~50年ごろのものとされるアウクスブルク大聖堂の高窓にある旧約聖書の場面で、人物像は実物の5倍以上の大きさがある。

パリ近郊のサン・ドニ修道院の窓は有名なシュジェール修道院長の注文で1144~51年の間に製作されたもので、そのすぐあとにシャルトルやブールジュ、ルマンにある大聖堂のステンド・グラスがつくられている。60~70年に製作されたシャルトル大聖堂の4つのきらびやかな窓は、94年の火事の際も奇跡的にのこったものである。そのうちの3つはランセット窓で、西正面にのこされ、もうひとつの「美しき絵ガラスの聖母」は13世紀に建築された回廊部分にうつされている。

フランスのロマネスクのステンド・グラスは、ドイツやイギリスに影響をあたえた。ステンド・グラスのもっとも一般的な主題としては、ニッチ(壁龕:へきがん)の場合は1人の人物、高窓や上階の窓には2人の人物が多く、キリストにいたる系図を表現したエッサイの樹は、ランセット窓などでみることができる。これらのテーマは、13世紀のストラスブール、ルマン、トロワ、ソワソンの大聖堂やパリのサント・シャペルでも採用されている。

キリストの受難の場面もよくみられる。ポワティエの大聖堂では、キリストの磔刑が主要な窓の主題となっている。この時代に使用された色としては、とくに背景としてよく利用された青色のほか、赤、黄、緑色などがある。また、紫や茶色、青や緑色がかった透明色もそれについで使用され、肌の感じをだすのに暗いピンク色もつかわれた。12世紀の窓の洗練された優美さは、金細工やエナメル細工の芸術に似ている。

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ゴシックのステンド・グラス

13世紀はフランスのステンド・グラスのもっともかがやかしい時代にあたり、その様式は同時代の彩飾写本と類似している。ボールトとフライング・バットレス(飛梁)の技術的完成により、荷重をささえたは不要となって、教会の窓はより大きくなり、窓の数もふえた。そして、ステンド・グラスもさまざまな種類のものがつくられ、完成度の高いものになっていった。

放射状にひろがる車輪のような巨大なバラ窓が、教会の西正面や袖廊の南北面にもうけられる。ここには普通、聖母とキリストの像が表現される。ほかの主題としては、聖書の物語やキリストの生涯、最後の審判、預言者や伝道者、聖人の伝説や生涯、紋章、歴史、12星座を表現した黄道帯、農事暦などがある。ギルドもよく窓を寄進したが、それはギルドの守護神やその職業の絵によって表現された。

13世紀のステンド・グラスの傑作は、やはりシャルトルの大聖堂のものだろう。そのステンド・グラスの大半は当初のものがのこされ、内部空間は、176の窓からさしこむ光とともに変化する宝石のようにかがやく色があふれている。ルイ9世の宮廷礼拝堂サント・シャペルには、全面がガラスでおおわれたと思えるほどの内部空間がある。

ブールジュ、オーセール、サンス、ソワソン、ラン、トロワ、ランスの大聖堂やパリのノートル・ダムのステンド・グラスもゴシック時代の傑作である。またこの時代、フランスやイギリスのステンド・グラスの色のレパートリーに、紫色、暗い緑色、黄色などがくわえられた。さらに、グリザイユの窓とよばれるヨーク大聖堂の「5人の姉妹」のように、白ガラスを多用する傾向もあらわれた。

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後期ゴシックおよびルネサンスのステンド・グラス

14世紀の初頭、新しい色がフランスのステンド・グラスにとりいれられた。それは塩化銀硝酸銀を低い温度で熱してガラスに付着させてつくる銀色もしくは黄色で、王冠や後光を表現するときや金色の感じをだすのにつかわれた。また、黄土色や薄緑色などの中間色もくわわり、白ガラスがいっそうひろく利用されるようになった。人物像の上の空間は、にぎやかでおおげさなものになり、寄進者の像もたくさん登場して、聖書の中の場面の見物人として登場したり、ときには場面そのものにくわわることさえあった。

14世紀後半の優雅で洗練された様式は、15世紀にもうけつがれた。入念な細部描写を特徴とする北方ルネサンスの影響で、職人たちはガラスをつかって絵をつくるのではなく、ガラスの上に絵をかくようになった。そのいっぽうで、ステンド・グラスは住宅にもとりいれられ、新しい世俗的なテーマがみられるようになる。紋章がそれまで以上に一般的なステンド・グラスのテーマになった。

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芸術の衰退

16世紀にステンド・グラス製作技術の革新がおこなわれるいっぽうで、宗教改革の影響もあって、ステンド・グラスは衰退の道をたどる。初期のステンド・グラスの美をつくりだした複数の色ガラスによる効果も、エナメルの技術によって1枚の大きなガラスの上で表現できるようになった。中世の光の芸術は、16世紀にフレスコ画油絵を意図的に模倣することによって劇的に変化する。17世紀のヨーロッパではまだガラス職人が活躍していたが、18世紀になるとイギリスだけがその伝統をまもりつづけた。しかし、19世紀にゴシック・リバイバルがおこると、イギリスやフランスでは古い技術をみなおそうとするようになった。

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19世紀のリバイバル

ウィリアム・モリスの仲間とそれにつづくアール・ヌーボーの運動によって、ステンド・グラスに新しい命がふきこまれることになる。イギリスの詩人・工芸家・思想家でアーツ・アンド・クラフツ運動の創始者であるモリスは、産業革命によってもたらされた量産の害悪に対抗する手段は、中世の手工業にもどることだと熱狂的に信じていた。1861年、彼は友人とともに家庭用品を製作するための会社を設立したが、そこにはステンド・グラスのすぐれたデザイナーである画家のロセッティバーン・ジョーンズがいた。かれらのロマン主義の様式は、うずまく感覚的な線に特徴があり、表面的にはアール・ヌーボーの芸術家の作品と似ている。アメリカでは、ティファニーが新しいステンド・グラスの様式をつくった。

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