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1996年7月に、ドゥラン大統領の任期満了にともなう大統領選挙がおこなわれ、中道左派のロルドス党(PRE)のアブダラ・ブカランが貧困層の救済などを公約にかかげて当選した。ブカラン大統領は、前政権の緊縮政策に立脚した新自由主義経済政策を継続。しかし、97年2月、放漫財政や公共料金の大幅値上げなど政府の経済政策への不満が増大し、ゼネストで首都は混乱した。国会は大統領罷免を決議したのにつづき、副大統領を暫定大統領に選出。軍部が事態収拾にのりだし、2日後にはアラルコン国会議長を暫定大統領に選出したが、その後も政局の混乱はつづいた。大統領罷免手続きに関して憲法に明確な規定がないことが混乱をまねいたとして、97年11月、憲法改正のための暫定国民議会が設置された。98年に施行された改正憲法では、議会は内閣の解散権をもたないことが規定され、大統領の罷免権に関しては、(1)審議開始に議会の4分の1以上が賛成すること、(2)大統領が憲法にしるされている罪をおかしていること、(3)罷免に議会の3分の2以上が賛成することが法制化された。 1998年の大統領選挙では人民民主(DP)のジャミル・マワが当選、8月に就任した。マワ大統領は2000年1月に非常事態宣言を出し、通貨暴落による経済破綻(はたん)を回避するために自国の通貨を米ドルにかえるドル化政策をうちだした。しかし、まもなく先住民インディオや労働者らが首都に集結してはげしい抗議デモがおき、それに軍部がくわわってクーデタに発展した。マワ大統領は辞任をこばんだが結局辞任し、まもなくグスタボ・ノボア副大統領(無所属)が新大統領となった。 ノボア大統領は就任後すぐにドル化政策を実行、2000年3月に経済改革基本法を制定し、為替リスクの回避とインフレの終息をはかった。政情不安はつづき、翌01年2月には、IMF(国際通貨基金)の緊急援助をうけるための公共料金値上げなどに反対する先住民たちが首都で大規模な抗議行動をくりひろげ、大統領は全土に非常事態を宣言したが、先住民と政府は対話をつづけ、運動は収束にむかった。01年6月、ノボア政権は消費税率を12%から14%へひきあげ、IMFの融資条件にこたえたが、同年8月に憲法裁判所がこれを違憲としたため、消費税は12%にもどった。 2002年11月にノボア大統領の任期満了にともなう大統領選挙の決選投票がおこなわれ、愛国的社会1・21(PSP)から出馬した元陸軍大佐のルシオ・グティエレスが当選した。グティエレスは2000年1月にマワ大統領を失脚させたクーデタの中心人物のひとりで、貧困対策や汚職の撲滅をかかげ、先住民や労働組合に支持された。03年1月に就任したグティエレス大統領は、先住民組織政党のパチャクティク(PNP)と連立をくみ、外相ポストなどをあたえた。しかし、IMFとの合意による財政緊縮政策をすすめる大統領とパチャクティクは、社会保障や労働問題などをめぐってしだいに溝を深め、同年8月にパチャクティクは連立政権を離脱、政権基盤は弱体化した。国内経済は、緊縮財政の効果もあって03年の物価上昇率が6.1%にさがり、財政も黒字目標を達成した。 2004年に入ると、コロンビアやペルーとともにアメリカとの自由貿易協定(FTA)交渉をはじめ、輸出競争力強化のために積極的にうごいた。そして緊縮財政政策の一環として、ガソリンや電気料金の引き上げなどをおこなった。しかし、これに反対するデモがおこるなど、国民に財政政策や親米的な政策に対する不満が高まった。12月には、政権基盤強化をはかって、最高裁判事のほぼ全員を息のかかった判事にいれかえる人事をしたために野党が強く反発、側近のあいつぐ不正などもあって、05年4月、ついにキトを中心に数万人規模の抗議デモがおき、死者も出る衝突となった。結局、グティエレス大統領は国会で罷免され、政権発足から2年4カ月で失脚し、ブラジルに亡命した。後任大統領には憲法の規定でアルフレド・パラシオ副大統領が昇格した。 パラシオ政権は、小選挙区制導入などの政治改革やインフラ整備などを就任時の重点施策とし、経済政策では、経済成長と雇用促進を優先課題として2000年以来のドル化政策も継続した。05年10月、亡命していたグティエレス前大統領がコロンビアから帰国し逮捕された。06年には、アメリカの石油会社オキシデンタル・ペトロリアムが政府承認をうけずに石油を転売していたことが判明、アメリカとの自由貿易協定交渉に反対する先住民組織などが反発してはげしいデモがおきた。これを機にパラシオ政権は同社との契約を破棄、そのためにアメリカとの自由貿易協定交渉も中断した。 パラシオ大統領の任期満了にともなう大統領選挙の決選投票が2006年11月におこなわれ、左派のラファエル・コレア元経済相が、制度的革新国民行動党(PRIAN)をひきいる親米右派のアルバロ・ノボアをやぶって当選した。コレアは、パラシオ政権発足時に大学教授から経済相に起用されたが、石油収入をもっと社会政策にまわすようにと、債務返済を優先する世界銀行などを批判、4カ月たらずで辞任においこまれた。選挙期間中もアメリカとの自由貿易協定締結やドル化政策に反対し、アメリカ主導のFTAA(米州自由貿易地域)に対抗するメルコスール(南米共同市場)への正式加盟にも積極姿勢をしめした。また、反米で知られるベネズエラのチャベス大統領ともしたしく、天然資源の国家管理強化や国内のアメリカ軍の基地使用延長反対などを主張している。
2007年1月に不安定な内政をかかえて船出したコレア政権は、新自由主義というアメリカの強い影響のもとにある経済を国民にとりもどし、新しい政治体制づくりをするとして、憲法改正のための制憲議会設置を問う国民投票を4月におこなった。富裕層を中心とする保守派が支配する議会の反対の声をおしきっての国民投票だったが、結果は賛成が大きくうわまわった。その後、制憲議会で新憲法草案が可決されたのをうけ、08年9月にはこの憲法改正案の是非を問う国民投票を実施、国民に承認されて新憲法は公布された。 この新憲法は「21世紀型社会主義」を標榜するといわれ、経済格差是正や大統領権限の強化、国家による資源管理強化がもりこまれた。もっとも重要な条項は大統領権限の強化とされ、議会解散権の大統領への付与や大統領の2期連続再選(1期4年)がみとめられた。2009年4月、この憲法にもとづいて大統領選挙と総選挙がおこなわれ、コレア大統領が新憲法下での初代大統領に当選した。
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