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「独禁法」と略称される。正式名称は「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」。
第2次世界大戦後、財閥解体をはじめとする占領軍(→ GHQ)による日本の経済民主化政策の成果を定着させるため、シャーマン法(1890)、クレートン法(1914)、連邦取引委員会法(1914)などアメリカの反トラスト法(→ トラスト)を模範として1947年(昭和22)に制定された。制定に際しては、アメリカのニューディール政策にたずさわった人々が、アメリカで実現することができなかった理想的な反トラスト法を実験的に導入しようとしたので、制定当初は、カルテルの絶対禁止などひじょうにきびしい内容の法律となっていた。 しかし、米ソの対立が激化し、アメリカの対日占領政策は大きく転換して、日本の経済復興がのぞまれるようになったことから、1953年に内容を大幅に緩和する改正がおこなわれた。その後、50年代後半からの高度経済成長期には、カルテルを適法とする独禁法の適用除外のための特別法が数多く制定され、独禁法の運用はかならずしも活発とはいえなかった。 高度経済成長の結果、消費者物価問題が重要な社会問題となる1960年代後半から、独禁法の運用がしだいに強化される傾向がみえはじめる。70年代半ばには石油危機を契機に物価高騰がおこり、独禁法の運用の強化が政策課題となった。そのため77年には、独占状態に対する措置制度やカルテルに対する課徴金制度の創設など、独禁法の制定以来はじめてその運用を強化する方向で法改正がおこなわれた。 しかし一方では、石油危機によってアルミニウムや石油化学製品業界が深刻な不況にみまわれ、独禁法の適用除外のカルテル法として「特定不況産業安定臨時措置法」(1978公布:5年の時限立法)が制定されたり、1983年にその後継法として「特定産業構造改善臨時措置法」が制定されたりした。 1990年代に入ると、日本の貿易黒字の大きさが各国から問題視されるようになり、日米構造協議や包括経済協議などにおいて、アメリカが、日本市場の閉鎖性解消のために、日本の独禁法の運用の強化を強くもとめた。これをうけて、課徴金額の増加、刑事罰の強化などの法改正がなされ、刑事告発の活用など運用の強化もはかられていった。そして、97~99年(平成9~11)に、個別法にもとづく適用除外制度は大幅に廃止ないし縮減され、適用除外法も廃止されて、不況カルテルや合理化カルテルの適用除外も廃止された。その一方、97年の独禁法改正では、国際競争力強化のために持株会社が原則自由になるなど、逆に緩和された規定もあった。
公的機関の発注事業に対する入札談合については、従来から広く存在していると指摘されてきたが、立件のむずかしさもあって公正取引委員会(公取委)の摘発は少なかった。その点を改善するための独禁法の改正が2005年4月になされた(施行は2006年1月)。 そのポイントの1つは、違反行為に対する課徴金算定率の引き上げとともに、「課徴金減免制度」を導入したことである。この新制度は、カルテルや談合など不当な取引制限にくわわった事業者がみずから違反事実を申告した場合、課徴金を減免する制度である。立入検査前の1番目の申請者は課徴金が全額免除され、2番目は50%、3番目は30%、立入検査後の申請者は30%、それぞれ減額される。対象事業者は3社までである。 もう1つのポイントは、刑事告発のための犯則調査権限を公取委にあたえたことである。裁判所が発する令状により、公取委は関係営業所の臨検、捜索、差し押さえが可能となった。また、従来の違反行為をみとめた際に出されていた勧告(排除勧告)は廃止され、対象事業者に意見をのべるなどの機会をもうけたうえで「排除措置命令」をおこなうことになった。
独禁法は、市場における公正で自由な競争を確保することによって、一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的とする。国民経済の民主的で健全な発達という法目的には、独禁法の制定の経緯に象徴される経済民主主義の確保という理念もふくまれている。
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