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    ブルボン家 (Maison de Bourbon)は、ヨーロッパの 王家 で、 フランス 王家 カペー家 の支流のひとつ。現在の スペイン 王家でもある。

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ブルボン家

ブルボン家 ブルボンけ Bourbon
百科事典項目
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アンリ4世アンリ4世
項目構成
I

プロローグ

フランスの王家で、18世紀以降は婚姻と相続を通じてスペイン王国およびナポリ王国などイタリア半島諸王国の王家ともなった。もとはフランス中部ブルボネ地方の領主で、その本拠は現在のアリエ県ブルボン・ラルシャンボ村にあった。なお、この村の名前は初期の当主アルシャンボ(1034頃没)の名にちなんでつけられた。

II

フランスのブルボン家

記録にのこる最初の当主は9世紀後半にブルボンの領主だったアデマールだが、その直系の子孫ベアトリス・ド・ブルボン(1310没)はカペー朝(カペー家)のフランス国王ルイ9世の第6子ロベールと結婚し、その子ルイ(1279~1342)が1327年に初代ブルボン公となった。ブルボン家は王族でありながら、王の権力からなかば独立してフランス中部に広大な領地をきずいた。

1527年に当主シャルルが死去すると直系のブルボン家は断絶したが、傍系のバンドーム伯シャルルがブルボン公の称号をうけついだ。その子アントアーヌはピレネー山脈西方の国ナバーラの国王の娘ジャンヌと結婚、その子アンリ・ド・ブルボンがナバーラ国王となった。アンリは宗教戦争(ユグノー)に際して新教徒の指導者となったが、89年にフランス国王アンリ3世が死去してバロワ朝の血統がとだえると、カトリックに改宗してアンリ4世として即位し、ここにブルボン朝が成立した。

アンリ4世が暗殺されたのち、長男がルイ13世として1610年に即位した。ブルボン朝第3代にはその子がルイ14世として43年に即位し、1715年まで王位にあったが、その間に子と孫をあいついでうしなったために、ルイ14世の没後は曽孫(ひまご)が5歳でルイ15世として即位した。ルイ15世の死去(1774)後は孫がルイ16世としてついだが、フランス革命の際、92年に王位をうばわれたのちに処刑された。皇帝ナポレオン1世の退位後、ルイ16世の弟が国王ルイ18世となり、ついでその弟がシャルル10世として即位した。シャルル10世が七月革命で亡命したのちにはブルボンの本家から王位についた者はなく、その孫シャンボール伯アンリが王位継承者とされたが、その死後、ブルボンの本家は断絶した。七月革命の際に王位についたルイ・フィリップはルイ14世の弟フィリップにはじまるオルレアン家の出身であり、現在ではその子孫であるパリ伯の家柄がブルボン家をついでいる。

III

スペインのブルボン家

フランス国王ルイ14世の妻マリア・テレサはスペイン国王フェリペ4世の娘だったことから、フェリペ4世の子カルロス2世が死んでスペイン・ハプスブルク家がたえたあと、ルイ14世の孫アンジュー公フィリップが1700年にスペイン国王フェリペ5世になった。巨大な力をもつブルボン家がスペインを支配することに対する反対は強く、イギリス、オーストリアなどとフランス、スペインの間でスペイン継承戦争(1701~14)がおきたが、最終的にはフランスとスペインの併合を禁止するなどの条件付きでフェリペ5世の即位はみとめられ、ここにスペイン・ブルボン王家が生まれた。フェリペの死後は2人の子フェルナンド6世、ついでカルロス3世が王位をついだ。カルロス3世の2人の子のうち長男はカルロス4世となり、2男はナポリ王となって分家を創始した。

1808年にカルロス4世はナポレオン1世に敗北したが、14年にその子フェルナンド7世が王位をとりもどした。フェルナンドの死後、娘が33年にイサベル2世として即位すると、弟カルロスがサリカ法典の相続法を根拠として王位を要求したため、以後70年代まで数次にわたるカルリスタ戦争とよばれる内乱がおきた。イサベルの孫アルフォンソ13世は1931年の共和主義革命に際して国外に亡命し、スペインは共和制になった。スペイン内乱フランコ将軍が勝利をおさめたあと、フランコはアルフォンソ13世の孫、フアン・カルロスを自分の後継の元首として指名した。フアン・カルロスは75年のフランコの死去後、フアン・カルロス1世として王位につき、スペイン・ブルボン王家が復活した。

IV

イタリア半島のブルボン家

18世紀のイタリア半島には統一国家がなく、多くの国家にわかれていた。南イタリアにはナポリ王国、シチリア王国があって、ともにスペイン人の支配下にあった。スペイン国王フェリペ5世の子カルロスはナポリ、シチリア両国の王(カルロス7世)となったが、兄のスペイン国王フェルナンド6世が死去したためにその跡をつぎ(カルロス3世)、1759年に3男のフェルディナンド4世を両国の王とした。2つの王国はナポレオン戦争の終了後、併合して両シチリア王国となり、フェルディナンドはその国王となった。4代目のフランチェスコ2世はイタリア統一運動に直面して1860年に退位、翌年シチリア、ナポリは統一イタリア王国の一部となった。

ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世の死後、娘のマリア・テレジアが皇位について、広大なハプスブルク家の領土をつごうとすると、フランス、スペイン、プロイセンなどが反対してオーストリア継承戦争がおきた(1740~48)。アーヘンの和約によって、マリア・テレジアの即位は承認されたが、スペインはハプスブルク家が支配していたイタリア半島内の小国を獲得した。カルロス3世の弟フェリペはこれによって1748年にパルマ公領とピアチェンツァ公領の君主となった。ここからはじまったスペイン・パルマ・ピアチェンツァ系のブルボン家は100年余りにわたってこれらの国を支配したが、1859年にイタリア統一運動によって廃位された。20世紀になって、この家系から現在のルクセンブルク大公家が生まれた。

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