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カイコ(蚕)のまゆ(繭)からとった天然繊維。うつくしい光沢と肌ざわりから、繊維の女王といわれる。 一つのまゆから1200m以上の糸がとれ、10本ほどをたばねたものが生糸である。生糸はタンパク質の一種であるフィブロインと、それをおおうセリシン(膠質:こうしつ)からできている。熱水やアルカリ液をつかって生糸からセリシンをとりのぞけば、軽くてしなやかで、光沢にとむ絹に精練される。 クワを餌(えさ)に飼育されるカイコからとれる絹糸以外にも、ヤママユガ、サクサン、エリサンといったカイコと近縁のガのまゆからも多くの「野蚕糸(やさんし)」が、生産されている。たとえば、柞蚕糸(さくさんし)はナラなどの葉を餌とするサクサンからとられる。また玉糸とよばれるものは、2匹のカイコが共同してつくる玉まゆからとれる。シャンタンなど表面に変化のある絹織物は、玉糸を素材としている。
絹をつかった織物には、先に織物をつくってから精練、染色する生織物(きおりもの)と、生糸を精練、染色してから織物にする練織物(ねりおりもの)とがある。 生織物には羽二重、縮緬、絽(ろ)、繻子(しゅす)、綸子(りんず)などがあり、練織物には御召、紬、銘仙、仙台平、甲斐絹(かいき)、錦織、緞子(どんす)などがある。また、生糸をつくるときの副産物やくずまゆなどからは真綿や紬がつくられる。 日本の絹織物業の中心地は西陣、丹後(→ 丹後半島)、長浜、十日町などで、それぞれに特徴のある織物がつくられている。
絹の歴史はきわめて古い。中国(中華人民共和国)の伝説や古代遺跡の出土品などから、およそ4000年以上も前にさかのぼることができる。前1500~前1100年の殷代(いんだい)の甲骨文字には、カイコ、クワ、絹などをあらわす文字がみられ、カイコを飼養し、絹をつくっていたことが明らかになっている。 その後、長い年月と多くの人々の手によって、絹は日本やヨーロッパにもつたえられ、アジアとヨーロッパをむすぶ東西の交易路は、シルクロードとよばれるようになった。
日本へつたえられた時期は明らかではないが、弥生前期(→ 弥生文化)の墓から絹が出土している。また300年ころ中国で書かれた「魏志倭人伝」は、日本でもクワを植え、カイコを飼養し、絹を織っていたことをつたえている。日本では明治維新後、養蚕業と製糸業が殖産興業の中心的役割となり、1920~30年代(大正末期から昭和初期)になると、生糸や絹が盛んに輸出され、経済の発展や産業の近代化に大きく役だった。
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