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Windows Live® の検索結果 1886~1969 鉄とガラスをつかった独自の様式をつくりあげたドイツ出身のアメリカの建築家。ドイツのアーヘンに生まれる。1905~07年、建築家で家具デザイナーのブルーノ・パウルの助手となって建築の手ほどきをうける。08~11年工業デザインを手がけていた建築家ベーレンスの事務所をへて、12年ベルリンに事務所をひらく。 初期の作品は数こそ少ないが、その後の様式をすでにしめしている。模型で鉄骨とガラス壁をつかった摩天楼をいくつかこころみている。バルセロナ万国博ドイツ館(1929)とチェコ共和国ブルノのトゥゲントハット邸(1930)が、初期の代表作である。これらの建築で、ミースはガラス張りにした横長の建物を考案し、大理石や木製の仕切り壁をできるだけ少なくして、内部をひと続きの空間としてあつかった。 ミースの建築は、簡素で洗練された外観に特徴がある。「少なければ少ないほど豊かである」という彼の言葉は、20世紀半ばの建築の基本理念を明解にいいあらわしている。ミースは直線的で単純な形態で設計した。彼の建築は、巧妙な均整、優美な素材、細部の明確さの効果によるところが大きい。素材には大理石や縞(しま)メノウ(→ メノウ)、クロム合金(→ クロム)、石灰華などもつかっている。 1930年、近代建築の中心だったバウハウスの校長になり、閉校の33年までつとめた。37年アメリカに移住し、38~58年はイリノイ工科大学の建築学科長の職につき、後進の指導にあたった。アメリカでは高層ビル、美術館、学校、邸宅など数多くの建築を手がけた。アメリカの建築家フィリップ・ジョンソンと共同で設計したニューヨーク市のシーグラム・ビル(1958)は、ブロンズとガラスでおおわれた37階建てで、ガラス張りの摩天楼の傑作とされている。またイリノイ州のファーンズワース邸(1950)もガラス張りの建築で、邸宅建築の代表作である。 ミースはフランスのル・コルビュジエ、アメリカのライトとならんで、もっとも影響力の大きい20世紀の建築家である。とくに摩天楼の設計は、多くの建築家に模倣・改作されてつかわれた。シカゴで没した。 →現代美術と現代建築の「バウハウス」
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