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1678~1741 イタリアの作曲家・バイオリン奏者。バロック協奏曲の代表的な作曲家として知られる。 1678年、ベネツィアに生まれ、同地のサン・マルコ大聖堂でバイオリン奏者をしていた父に音楽の手ほどきをうけた。15歳で聖職にはいる。1703年、25歳のときに司祭の位をさずけられ、「赤毛の神父」の通称で知られた。同年、女子の孤児を収容したピエタ慈善院(事実上は音楽学校)で音楽をおしえるようになる。40年まで音楽監督として同慈善院とかかわりつづけ、生徒を指導したり、毎週ひらかれる学内コンサートのために協奏曲やオラトリオを作曲。この間に国際的名声を確立する。13年以後はオペラの作曲と上演にもたずさわり、自作オペラ上演のためにローマ、マントバなどへもでかけた。40年ごろウィーンの神聖ローマ帝国皇帝カール6世の宮廷に職をえて、41年に同地で死去。
ビバルディは500曲以上のバロック協奏曲、70曲以上のソナタ、約45曲のオペラ、それにオラトリオ「勝利のユディタ」(1716)や「グロリア」ニ長調(1708)、ミサ曲、モテットなどの宗教音楽を書いた。宗教音楽には、当時のオペラ様式とともに、独奏と総奏が交互にあらわれる形式(ビバルディが協奏曲で確立した形式)も反映されている。いっぽう器楽ソナタの書法は、協奏曲にくらべると保守的である。ビバルディよりも少しわかいバロックの大作曲家ヨハン・セバスティアン・バッハは、修業時代にビバルディの作品を勉強している。ビバルディのバイオリン協奏曲やソナタには、原曲がうしなわれて、バッハが鍵盤楽器用に編曲した譜面でのみつたえられているものがある。
ビバルディの協奏曲はヨーロッパじゅうで協奏曲の手本とされ、年長の作曲家の作風にさえ影響をあたえるほどであった。500曲余りの協奏曲のうち、300曲余りはソロ協奏曲で、そのうちバイオリン協奏曲が220曲、残りはファゴット、チェロ、オーボエ、フルートのための協奏曲である。それ以外の作品はコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)で、うち25曲が2台の独奏バイオリン、35曲が3種以上の独奏楽器をもつ。コンチェルト・リピエーノ(独奏者のいないオーケストラだけの協奏曲)も数曲ある。 ビバルディはリトルネロ形式を一貫してもちいた最初の作曲家である。のちに協奏曲の急速楽章(テンポの速い楽章)ではリトルネロ形式が標準的な形式となる。リトルネロとよばれる部分は、オーケストラのすべての楽器で演奏され、独奏の部分(エピソード)をはさんで調をかえながら何度も反復される。エピソードはしばしば、独奏者が卓越したテクニックを発揮できるように書かれている。ビバルディは実質的に3楽章型の協奏曲を確立した作曲家で、独奏者のためのカデンツァも他に率先して導入した。 「四季」作品8は、弦楽オーケストラによる標題音楽のひじょうに古い作品のひとつである。この曲をはじめ、ビバルディの音楽は全般的に活発なリズムとするどいコントラストを特徴としている。
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